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新野郊外の田舎道を、うつむいて関平はとぼとぼと歩いていた。
いかにも覇気なく気落ちして、一歩歩くごとにますます足取りは重くなり鈍るようである。
──ああ、父上を失望させてしまった。
思わず深く嘆息した。
彼に任されている部隊を本日父が閲兵したのだが、父が期待するようには兵を操ることができなかった。
統率力も指導力もこの義子にはさほどありはせず、見込み違いであったと父は思ったことだろう。自分が父のようには部下達に慕われていないことも分かってしまったろう。
自分のような若輩が将として指揮を取るのは随分と僭越なことである。父のような威光があれば別だ。せめて、その父の血統を引いているという選ばれた存在であれば別だ。
自分には能力も特別な血筋もなにもありはしない。
兵卒の中には、ぽっと出の養子風情の下につかねばならない不服を露わにするものもある。
好きで武芸を学んだ自分であり、自ら敵にあたる武の腕前にはそれなりの自信もある。しかし、人を指導し、または従わせる、いわゆる将器というものは、武才とはまったく異なったものでありながら、同じ一人の人間が併せ持つことを求められる力である。
父にはその困難が理解できないほど、息をするように当たり前のことなのだろう。そしてきっと、弟が長じたならば同じようにいとも簡単にそれをなすのだろうに。
自分にはそれがない。
馬は錬兵場で従卒に任せて、あえて徒歩でできる限りゆっくり戻ってきたつもりだったが、それでもいつのまにか帰宅の道程をかなりこなしてしまっていた。
──こんな顔では家に帰れぬ。母上がまたひどく心配なさる。
継母である母は関平に辛く当たるようなことは決してなかった。
優しく控えめな母で、跡継ぎとしてもらわれてきている関平をいつも立ててくれる。そして、彼の立場の妨げになる子達を産んだことで関平が気を悪くしていないかと、いつもいつも気にしている。
関平は歩を止めて、道端の木に背をもたせ掛けて休んだ。
実の両親であったならば、父の期待が重いのも母が優し過ぎることも、多少気詰まりであろうとも受け流せるのだろうに。
父母はどこも悪くない。彼らが普通の父母と違うのは、ただ血縁でないということのみである。
それは考えてみればどうといって実害のない事実なのであるが、常にそこに厳然と存在を主張している。
ごくごく薄い透明の壁に似て、あるかなきか目には定かに見えないほどの障害であるのに、しかし確実に自分とまわりを隔てて息を詰まらせる。
実家では、父は年寄りであったし兄は謹厳で、取り立てて和気あいあいとした家族というわけでもなかったが、しかし血がつながっているということだけでなに不足ない家族だった。
思うに、家族というのはそれだけで十分なのだ。
しかし今はそれがない。
実父が亡くなって養子の話が舞い込んだ時、夢のようなその話を二つ返事で受けてしまった。
いや、よくよく考えたとしても自分には他に選択肢はなかったし、無限の道があったとしても自分は喜んでここにきたろう。だがしかし、もう少し熟考して、つまり覚悟を決めてここにやってくるべきだった。
そんな浮き浮きした楽しいばかりの話ではないことを理解してここにくる必要があったのだ。
──私は、これから先ここでやっていけるのだろうか。
そう思うともう一歩も帰途を進められない気持ちだった。
「にい!」
甲高い声に呼ばれて振り向くと、弟がこちらに向かって駆けてくるところだった。
「興、どうした。なぜこんなところにいる」
はしゃいで大喜びで抱きついてくる弟が言うには、張苞たちと遊んでいたら兄の姿が見えたので迎えにきたのだということらしい。
手の平をかざして遠望してみれば、なるほど、土手の上で豆粒ほどの人影がなにやらこちらに向かって叫んでいるのは、張苞と、その弟の張紹であるようだ。
「子供だけで川のそばで遊んでいたのか? 危ないではないか」
そういさめると途端に頬をふくらませた。兄をこうして迎えにきて、開口一番ほめてもらえるはずがあてがはずれたのでむくれたのだ。
そのいかにもがんぜない様子に関平も相好を崩し、思わずからかってしまう。
「なんだなんだ、その顔は。お前ももう兄様になったのに、そんな顔をしてはおかしいだろう」
そう言われると、頬をふくらませたまま更に口をとがらせた。
弟のことは、今関興にとって最も面白くない話題である。
赤ん坊が生まれる前には、兄に自分という愛くるしい弟があるように、自分にもかわいい弟ができるものと彼は大いに楽しみにしていた。そして張苞に張紹という子分があるように自分にも手下ができると思っていた。
しかし、くしゃくしゃの赤ん坊は子供目に少しもかわいくなく、寝ているかうるさく泣いているかで、はなはだ期待外れだった。しかも今まで自分が占有していた周囲の世話も関心も一切合財もっていかれ、彼はすっかり反抗期になってしまったのだ。
「にい、いじわる。きらい!」
「こら、待たないか」
そう言って駆け去ってしまうのを追いかけた。
母が自分にいくらよくしてくれても気がもめるのとは逆に、関興がむくれようが嫌いだと言われようが少しも心につかえなかった。
それどころか、いつの間にか先程の暗澹とした気分が晴れていて、笑いながら弟を追って駆けている自分に気づく。
なぜなのだろう。それはあまりに簡単な話だ。
──興は知らぬのだものな。なにも。
自分達が真実兄弟ではないということを。
そして彼が知らずにいる限り、自分達は実の兄弟と少しも変りない。
関興が道端の藪にそれて行ったようだったので、自分も枝をかき分けてついて行くと、弟はなにやら立ち枯れた木に取りついてつま先立ちしたり飛び上がったりとしている。
「にい。とって。あれとって」
「なんだ、あけびではないか」
関平の視線ほどの高さによく熟れたあけびがぱっくりはぜているのをもぎ取って与えてやると、すぐむしゃぶりついた。
「あまいあまい。おいしい」
先程までの不機嫌はもうすっかり忘れたようである。なんとも現金なものだ。
すぐに食べ切ってしまうと、もっと欲しいと言って視線を巡らし、指差した。
「あれがいい」
それはたまげるほど大きいあけびであった。
「あれほどになると大味でうまくはないぞ。他のにしなさい」
「あれがい。あれがいいの。とってとって!」
地団太を踏み、今にも地面にひっくり返って暴れ出しそうだった。
関興は、自分では利口で人格者だと思っている節があるが、確かに同齢の子供と比べれば覚えや理解は随分といいようだが、しかししょっちゅうこうしてぷりぷりして、彼の自己評価とは随分と隔たりがあるようである。
しかしそんな弟が一層かわいい。
遠慮会釈なくわがままを言う弟。疑いもなく自分を兄と信じて、言いたいままを言う。
「しかしあれは無理だ。兄様でも背が届かぬ」
「じゃあ、かたぐるま」
さっと両手を差し出してくる。
「しかたないな」
関興はもう大き過ぎてかつぎ上げるのは大変な作業だったが、よいせと勢いをつけて立ち上がると、ちょうど指先が届いたらしく歓声を上げている。
「にい、すごいね。おっきいね。ねえ、にいはなんでおっきいの?」
「兄様より父様の方がずっと大きいだろう」
「ちがうもん」
「なにが違う?」
違う違うと言って足をばたつかせるのでおろしてやると、急き込んで話し始めた。
関興はすでに頭の中ではかなり複雑なことを考えているようなのだが、なにぶん口が思うようには動かないため、理解してやるのはなかなか骨であったが、よくよく聞いてやると関興が言うのは次のようなことであった。
どこのうちでも子供はみな子供である。
張苞の家でも、隣の家も向かいの家も子供は子供であり、関興に至っては弟は赤ん坊である。そういうものである。
しかるに、兄だけはどうして子供なのに大人なのか。
そう言われて、関平は息が詰まるほど愕然とした。
──もう、そんなことが分かるのか。
よその兄弟と比べて自分達だけ違うのだと、もう分かるのだ。
自分達は普通と違うと。
兄は普通の兄と違うのだと。
もちろんいつかは分かってしまうことである。
しかしそれはまだずっと先と思っていたのに、無情にも、その時はもうきてしまったのだ。
それに、事実を告げる役割はできれば父に負ってもらいたいと思っていた。
天から与えられた不可避な運命にはあきらめがつきやすいように、父からあの重々しい声色で告げられたならば、弟も受けとめやすいだろう、そう考えていた。
いやしかし、今のうちに、この事実の意味がよくは分からない子供の内に知っておいた方が、弟のためにはむしろいいだろう。まだ心の柔らかなうちに知った方が痛みは少ないだろう。
それに自分から言ってやった方がいいのに違いない。自分達に血のつながりがないということを、当の自分から言った方が。
「興、今から大事なことを言うから、よく聞きなさい」
「うん」
弟の前に膝をつき、その両肩口をつかんだ。
「兄様はな、兄様は、本当はな、」
「うん」
くりくりした目をぱちつかせて見つめてくる。
関平は心を固めたはずだったのだが、その目に一片の疑念もないことを見たら、にわかに恐ろしい不安に取りつかれた。
──本当のことを知ったら、もう二度と私をこんな風に見てはくれまい。
激しく自分を拒んだりとまではしないだろう。きっと、よくは理解できないながらもうなずいて、分かったと言い、これからも兄と呼んではくれるだろう。
しかし、知らなかったころとまったく同じには決して戻らない。
世の人達が自分を見て、ああ関公のお子の関平様だと言い、その後に”あのご養子の”と心の中で必ずつけ加えるように、この事実は常に心に住みついて、弟の中からすっかり消えてなくなることは金輪際ないのだ。
──言えぬ。とても。私には。
思わず唇を強く噛んだ。
それに、一体どう言えというのだろう。
──自分達は兄弟だということになっているが実は兄弟でもなんでもない。
そんなことは、言うこちらの胸がつぶれそうだ。では濁して言うか。
──自分達は血こそつながっていないが、みろ、こんなに仲がよい。立派に兄弟ではないか。
そんな大人のまやかしを、この無邪気な弟にどうやって納得させる。
「にい、なに? ねえってば」
関平が言い淀むので、もったいをつけられたと思って関興は先をせがみ、その目がいかにも子供らしく好奇心にきらきらと光るのを見るとなおさら胸に迫った。
「その、兄様は、」
──だが言わなければ。私の口から、今、言わなければ。
「…兄様は一人っ子だったから、弟が欲しくて」
なにを言っているのだろう自分は。そう思ったが口が勝手に動いた。
「ずっと弟が欲しくて、父様と母様にお願いしたのだ。それでお前が生まれた。だから兄様とお前は随分歳が離れてしまったが、それだけだ。不思議なことはなにもない。なにもないのだ」
「うん」
満足したらしくにこにこして関興はうなずいた。見るに耐えず、関平は弟を抱え上げる。
「よし、もう一度肩車してやろう」
「わあい」
弟はずっしり重かった。
生まれたてのころの彼は、それまで赤ん坊というものに触れたことのなかった関平にはあまりに小さく頼りなく思えて、恐る恐る抱いたものだったのに。
あれはほんの数年前のことだ。
彼はこれからもみるみる成長し、じきに兄の嘘を見破るだろう。
そしてその時自分は彼の兄でなくなる。
それまでは兄でいられるのかといえば、それまで自分は嘘つきのぺてん師ではないか。
弟は高い高いと喜んでいる。こんな風に、自分をかついでいる男が兄であるどころか不誠実な赤の他人であるなどと疑う力もない幼児を、自分はだましているのだ。
──すまない。興、すまない。
謝ってやることすら今の自分にはできない。
──私はきっとお前が自慢できる兄になるから。お前が誰にでも胸を張って、これは自分の義理の兄であると言える、そんな兄に、必ず私はなるから。
「にい、だいすき」
「あ、ああ。兄様も興が大好きだ」
──私を許してくれ、興。
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