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──侍中。侍中かあ。
 結局、諸葛軍師の話は断ることにして、先程早馬に託して返事を出してしまった。
 こうして済んだ今になって落ち着いて考えれば考えるほど、思い切った人事を自分に振り当てたものである。
 軍師の文を改めて開き、几帳面な字体で書かれた"侍中"の文字を指でなぞってみる。本当にそこにそう書いてあるのがいまだに信じられないような、そんな職なのだ。
 侍中といえば通常は三品の官職で、まさか自分にそのままその位が与えられるとは思わないが、三品といえば、兄の位を飛び越えて父に並んでしまうのだ。
 それに侍中というのは皇帝の身の回りに侍って直接話ができる立場であるだけに、職制上の地位よりもっと大きな権力を握ることになりがちである。
 兄が長年地方で報われにくい職務を堅実にこなしているのを間近で見ているだけに、自分のようなぽっと出のひよっこがそれを上回る立場になるなどとんでもないことだと関興は思う。
 思うがしかし、もう断った話であるだけに、想像してみるくらい構わないだろう。
 実現することなどありえない、単なる想像にすぎないのだ。

──権力。
 関興はごくりとつばを飲んだ。
 例えば、例えばだが、辺境の守備についている四品の将軍を呼びつけて──いや、それが誰とは言わないが──、そう、呼びつけて自分の命令を聞くよう言いつけることなどさもない、そんな権力だ。
 そうだ。自分のような若輩が高位につくのは僭越だが、しかし、皇帝の身辺を親族で固めて力を与えておくのは必要だ。歴史上の事実からもこれは読み取れる。
 そうでなければいざという段になって国の権勢が揺らぎやすくなり、それは民の安定した生活を守るという観点からも望ましくない。
 それに、実力がないものが地位については不平不満は出ようが、かと言って実力至上主義に陥るのもよくない。我こそはと思う者が戦乱をはびこらせ、いつまでも平和の世は訪れないのだ。
 なるほど、こうして考えるに、自分を侍中につけようという諸葛軍師の考えは至極もっともなものである。

 自己正当化を済ませて関興は妄想を先に進める。
 兄を宮城の自分の執務室に呼ぶ。
 兄は高貴な身分となった弟にどういう態度をとったらいいのか窮する様子でやってきて、しかし形通り、ひざまずいて拱手の礼を取る。
 いい気分。実にいい気分だ。
 関興が兄の背を抜いてもうしばらくたち、すでに二、三寸は上回っているだろうが、それでもどうも心理的に見上げがちであるので、こう大上段から兄を見据えるのはうっとりする優越感である。
──ふふっ。
 そこにつかつかと歩み寄って、その顎を取るのだ。
「今宵、伽を申しつける」
「それは光栄だな」
「ひっ! あっ、あっ、兄上! いっいつからそこに!?」
 気配を殺してやってくるなど卑怯な。
 いやしかし、きっと大声で呼びかけられても気づかないぐらい、想像に没頭していた彼であった。
「深夜に人の部屋に、しかも突然こっそりやってくるなど、兄弟でも、ひどいです、兄上」
「お前が言ったのではないか。私は帰宅が遅くなると言ったのに、どんなに遅くなってもいいから部屋にきてくれるようにと、どうしても今夜一緒にいたいと懇願したのは誰だ」
 そう言えばそうだった。
 兄に口づけしてもらったのがあまりうれしくて有頂天になり、きっと熱い夜を過ごすのだと決めて兄に頼んだのだった。
「あ、いやあ、そうでした。でもあの、兄上、その、い、いつから、いらしたのです」
「今さっきだ。お前に伽を言いつけられたところからだな」
 関興は、消えてなくなってしまいたくなった。
 そんな彼を無視して関平は隣に腰かけると、弟の手から文を取って読み出した。
「なるほどな。侍中、末は丞相か。私も丞相の兄になり、さらにその愛人ともなれば、よほど出世できそうだな、興」
「は、はあ。誠に」
「大司馬ぐらいには、してもらえるのか?」
「いやその」
 こういう兄の言い草は、関興は直接受けたことはあまりないが、しかし張苞がこのように言われているのは横でよく聞いたものである。
 兄は理不尽な説教はしない。悪くない者を叱りはしないし、また、悪いことをしたと自覚がない者を叱ることもしない。
 そう聞くとよいことのようにも思えるが、つまり言いかえれば、胃の腑にしみるほどとっくり反省させられるということに他ならない。なあなあで許されることはないのだ。
 弟が悪事を自覚して返す言葉もない様子でいるのを見て、関平は一気に雷を落とした。
「興! 悪い子だ! いつからこんなことを考えるようになった。私はお前をそのような子に育てた覚えはない!」
「兄上! ごめんなさい!」
「まだその職についてもいないのに職権を乱用することを考えているようなお前が侍中など、十年早い!」
「ごめんなさい!」
 弟が布団をかぶってぶるぶる震えているのを見捨てて、関平は靴音高く出て行った。

── 一体、兄上の機嫌を立て直すのにどれぐらいかかろうか。
 なにしろまず、心から謝らなければ通用しない。
 心底反省し、もう二度とこのような心得違いを起こさないという証を立てなければ兄は許さない。
 兄のあの生真面目な性格を思い、関興はぞっとして血の気が引いた。
──ああ、今からでも早馬を追いかけて取り消して、やはり侍中になると言おうか。そうだそうしよう。そして兄上に命令するのだ。その位に就いて、兄上に、許して下さるよう、そう命じるのだ。
 なんとも志が小さくなったものだ。
 いずれにせよやはり、立派な官職に就くなどまだまだ早過ぎる関興であった。


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