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 江陵の強い日差しの中を駆け回って育った関興に比べて、北方の出の兄は白い肌をしている。
 その肌にいくつも傷跡が残っていた。
 兄が眠っているのをいいことに、関興は一つ一つそれを改めていった。兄のことを知るのはなんでも楽しい。ほくろを数えたり、つむじを探したり。すきを見て関興はちょくちょく兄の体を調べた。
 傷というよりはすでに肌の引きつれになっている古い物から、比較的新しい物。
 結構ひどいものもある。それもそのはずで、こうして一定の土地に落ち着いて暮らせるようになるまで、父や兄は死線を幾多くぐり抜けてきたのだ。今の自分の、いわば安穏とした暮らしは、そうした父・兄らの努力の礎の上にあるわけだ。
 兄が自分の年ごろには、食うや食わずで危うい戦場を駆け廻ったり、圧倒的な敵から命からがら逃げまわったりという生活をしていた。衣食住満ち足りて恋愛問題で悩む自分など兄から見たなら馬鹿げているかも知れないが、それはそれなりに、真剣に悩んでいるつもりだ。
 新野を追われてここに逃げてきた時のことは関興はおぼろげにしか覚えていない。しかし涙も出ないほど恐ろしかったという記憶ははっきりとある。自分たちは輿に乗って軍の前方にいたので、敵兵に襲われたなどということはまったくなく、安全に楽をして実質的になにもなかかったのだが、それでもその恐怖は今でも鮮明なほどだ。
 援軍を求めに出た父の代わりに兄はしんがり近くで歩みののろい民の周りを守りつつ、それでも時折馬を飛ばしてやってきて、輿をのぞいて声をかけてくれた。
──お前たちは必ず兄様が守るから、なにも心配はない。
 くり返しそう言った。寸暇を惜しんでしなければならないことは他にいくらでもあっただろうに。
 そう、あの時だって兄はけがの一つや二つしたはずだ。
──これだろうか。わき腹のこれなど、古いし、深そうだ。
「う…ん」
 関平が寝返りを打ったので、起こしてしまわないようにと関興はそこでやめた。
 このところ勤務が忙しく、本当なら兵舎にでも寝泊りすれば楽ができるものを、自分のために家に戻ってきてくれているのだ。
 そして関興はただ兄を眺め始めた。そしてうっとりしてにやついてしまう。
 なんと幸せなのだろう。こうしているだけで、しかし自分は天下一幸せだ。
 私は兄上と相思相愛になったのだと、大声で世間に触れ回って歩きたいぐらいだ。
「ふふっ」
 思わず声に出して笑ってしまい、結局兄の眼を覚ましてしまった。
「あ、ああ、済まない。うっかり眠ってしまうところだった」
「いいえ。私は兄上の寝顔を眺めているだけでこの上なく幸せなのです。お休み下さい。お忙しいのに、一緒に過ごそうとにわざわざ帰宅して下さったのでしょう?」
 弟がそう言うと、関平は困惑した様子を見せ、にわかに落ち着きがなくなる。
「い、いや、そうとばかりではないが」
「いいから、お休みになって下さい」
 起き上がろうとする兄の上体を押さえ、ついでとばかりにその口をふさぐ。
「う」
 下唇をついばみ、舌先を触れさせ、ただの眠る前のたわむれでそれぐらいでやめるつもりだったのだが案の定、次第に熱がこもって中断できなくなり、口づけはみるみる深くなっていった。
「はっ、はあ」
 おおいかぶさった姿勢のまま兄の背を抱き、足をからめる。気候がよくなってきたのを幸いに事後裸のままいたので、まだ汗の湿り気の残る肌が直接触れて淫靡だった。
「ん…、兄上」
 関興の唇はあちこち動き回り、顎の線を吸い、首筋に鼻面を埋めて、夢中で兄を味わった。
 本当に、自分は節操がなく、兄を休ませるつもりが逆になり、日に日に益々とたがが外れて行っているとは関興自身も思うのだが、制止しようという意志の方も日を追うごとに薄れている。
 しかしいいではないか、とも思うのだ。
 なにせ自分達は恋仲なのだ。
「はあ、はあ」
 自分のものと兄のものとまとめて握り、無暗にしごき上げる。
「うっうっ」
「あ、兄上」
 じきに関興は我慢がきかなくなると、慣れた仕草で兄の中に割り入る。
「ああ!」
 関平が大きく声を上げる。
 入り込んだそこは熱く、ほどよくきつく、関興は息を詰め、最初から大きく腰を使った。
「兄上、兄上、好きです、兄上」
「こ、興、ああ、ん…ッ」
 兄が思わず敷布を握りしめる手をその上から握り、間を置かず打ちつけて共に上り詰めたのだった。

「…、ふう…」
 心地よい倦怠感に浸りながら関興は兄を背から抱いて横になり耳たぶを甘噛みしてじゃれついていた。
 兄の方でもされるがままに身を任せて余韻を味わっているようだ。
 これぞ全幅の幸福。この世の春とばかりに関興は心身とも満足しきっていたのだが、兄は急にがばりと起き上がると言うのだった。
「し、しつこい」
 そう言われれば返す言葉もない。
 最近兄が自分をいささか鬱陶しく思っていることは関興だって分かっているのだが、歯止めがまるで利かないのだ。
「申し訳、ありません」
 弟が素直に頭を下げると、関平はまた先ほどのように困った風になった。
「申し訳ありません兄上。でも私は、うれしくて。いつでも、ずっとでも兄上に触れていたいのです。兄上にはご迷惑かと思いますが」
 まだなにごとか気に入らないのか渋い顔の兄はなにか言いかけたようでもあったが、結局なにも言わず、じきに布団をかぶってそのまま寝てしまったので、関興はかなり後味が悪かった。

「おっす、猫っかぶり」
「張苞…、お前、またいやがったか」
 張苞はまたしても江陵に滞在し、うろついていた。江陵はせまくはない城郭都市だが人が往来する繁華街と言えば限られており、ちょっと町をぶらつけば会いたくない相手にもしょっちゅうばったり会ってしまう。
 好きな娘に振られ、一旦は傷心を抱えて成都に戻った張苞だったが、その性格の割には恋愛にかけて粘着質な部分があったらしくあきらめ切れずに舞い戻り、再度、そしてしつこく、彼女に迫った。
 そして最近になってついに色よい返事を取りつけたそうで、彼は今、人生の絶頂期にいる。
 なんでも、関興は男色家で望みがないからやめとけと、そう言って説得したとかしないとかいう話だ。
 そんな従兄を冷たく一瞥した関興だが、余裕の構えで許してやった。なんとでも言え。自分には至上の恋人がいるのだ。

 兄がいれば張苞など鼻もひっかけない関興だが、今日はその兄が戻らないと言って出仕しているので、その出かけ際のらしくもないとっつきがたい雰囲気は気になってはいたが、まあ今夜なら張苞の相手をしてやってもいいと、関興は彼を家に呼んでやった。
──人前でこいつと一緒にいるところを見られるよりはましだ。
 友達甲斐がある方とは言えない、計算高い関興である。
 中庭に座敷をあつらえ、四方に燈火をたいて酒を飲む。夜風は冷たいがどうせへべれけになるまで飲むので寒くったっていいのだ。
 庭の池には時折長江の水鳥が飛来するのだと教えてやると張苞は弓矢を持ってこさせ、射落とし焼き鳥にして酒の肴にしてやると息巻いている。まったく、たちの悪い酔っ払いだ。儒子、共に語るに値わずとはこうしたことかと関興は思う。しかしそんなおごり高ぶった彼も張苞と大差はない。

 酒席の話題と言えば、双方にとって今一番の旬な話題である恋人の自慢に尽きた。
 恋愛の初期にある人間は、とかく自分の恋の話しか眼中にはない。他人のそれなど吹けば飛び去るちりのごとしだ。
 そうでなくとも元々二人ともが、人の話などろくすっぽ聞かない、おのれ中心の性格だ。関平がこの場にいたならば、二人でいっぺんにしゃべるものではない、人の話をよく聞かないかと叱ってまた違いもしたろうが、互いに相槌もろくろく打たず、ただただ自分の話をまくしたて、到底会話とも言えない会話が展開された。
 そして自分の話を反芻してにやにや悦に入ったりするのだ。
 まわりから見たならば馬鹿馬鹿しいことこの上ないが、恋愛の醍醐味は、こうして平常心を失ってのめり込み、陶酔することにある。

 家人もあきれて寄りつかなくなってから一刻半ほどが経過すると、くり返し同じことを自慢するのもさすがに間が持たなくなり、自分たちの方がより熱烈だと引き比べて自慢し、相手の自慢にはけちをつけ出した。兄弟以上に割りない仲の彼らの言いあいは、それだけに、あまり麗しいものではない。
 しかしそうなってくると、まだ清らかな交際をしているらしい、どうやら手を握るのがやっとだと察せられる張苞は明らかに分が悪かった。
 調子に乗って、鼻もちならない自慢話を言って聞かせる関興だが、彼の恋愛も完全にうまく回っているとは言えずたたけばほこりの出る体だ。
 とりとめなく話すうち、その内容が核心に触れるにつれ調子を落としてきた。

「そんなわけで、兄上の様子がおかしいんだ」
 飲み干した杯をかつんと置いて拍子を取り、関興は続ける。
「そりゃ、俺はしつこいよ。そのことしか考えてないよ。だけど、いいだろ。恋人同士だぜ。なあおい、分かんだろ」
「まあ、俺は分かるけどよ」
──俺は?
 お前に分かって他の人間に分からないことなんかあるのかと関興は斜めに従兄を見た。
「俺はそりゃ、ずっと一緒にいたいよ。俺は分かるさ。でも大兄は恋愛音痴だからな」
「えっ、なに、なんだって?」
 耳にはしっかり聞こえたのだが、その意味するところが重大過ぎて瞬時に理解しきれなかった。
──恋愛音痴?
「大兄はずっと二の伯父貴一筋だろ」
「ま。そりゃ、まあ」
 表現は今一つ気に食わないが、それは関興にも否定しようはない。
「大兄と話してて、伯父貴とお前と武芸の話以外、出てきたことないもんよ。色恋だのなんだの、目の端にもねえの。無理もねえよ、まあ。俺らぐらいのちょうど一番遊べる歳に、戦ばっかしてたんだ、大兄は」
 うんうんと張苞は自分の話にうなずく。
「大兄がそんなだから俺はよ、よくもまあお前が大兄を落とせたもんだと長らく関心して──」
 張苞は一人でべらべらとしゃべり続けたが、関興の耳にはもう届いていなかった。
──恋愛音痴!
 関興の中で困惑の種になっていた諸々の事柄が一遍に解決がついたように思った。
「張苞!」
 関興は従兄の手をがっしりと取り、固く感謝の握手を交わした。
「恩に着るぜ」
 そして用は済んだとばかりに彼を追っ払って帰らせると、自室をぐるぐる歩き回って考えた。

 関興はずっと、漠然とながらも不思議に思っていたのだ。
 兄が言う言葉の断片を再構成して察するに、兄は初めから、それこそ自分が心を告白した当初から自分を好いていてくれたらしい。
 つまり最初から自分たちは両想いだったはずなのだ。対外的なことはともかくとして、二人の間ではすんなり成就してよかったはずではないか。
 ところがどうだ、なにかにつけて、いや、なににつけてもいちいち自分たちの仲は停滞する。それどころか、致命的危機に陥ったこともある。
 その時には関興自身いっぱいいっぱいだったので理路整然と考えて解決することはできなかったが、あとになって顧みて思うに、兄の行動にはどうにも理解に苦しむところがある。
 以前はあんなにも自分をほめたたえてくれていた兄だのに、こうなってから、自分を好きだと言う最近の段になってから妙に分別臭い説教をしたがったり、今度こそなんの障害もなく上手くいきそうだというところで無理に一歩引いたりする。

 関興は自慢の優秀な頭脳を全力で働かせて考えに考えた。ここは大事なところだ。
 彼は恋愛経験の数自体は少なかったが、そのたった一つには年季が入っている。ほぼ物心ついたころから今に至るまで兄一人を愛している。自分で言うのもなんだが執念深いと言ってもいい。
 恋愛における天国と地獄を満喫することにおいては一家言ある。
 今一番幸せなはずの自分たちなのに、雑多なすべてを投げ忘れて恋にひたり、のめり込んでいい、いやさ、そうすべき時期のはずなのに、なぜ兄の気の乗りがこうも悪いのか。
──恋愛音痴。
 その一言ですべて分かったのだった。


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