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 その晩、また関興は兄の部屋にやってきていた。
 いつものように兄を抱いて、しかし今夜はいつも通りの晩にはしないと決意していた。
 兄におぼれてしまわないよう、気を強く持ち、努めて冷静に兄を見下ろす。
 兄はいつものように唇をかみ、痛みをこらえている。
「う…」
「あ、兄上」
 兄が声を上げたので関興は慌てて体を離し、眉根を寄せて尋ねた。痛いのですか。辛いのですかと。
「構わない。そんなことは、いいのだ」
 決まりきった返事を兄がするのを今日も聞いて、関興は胃の下あたりがきゅっと痛くなった。
 構わないことがあろうか。
 自分たちは恋仲で、互いに愛があってこうして抱き合っているはすではないのか。
 それが証拠に自分はいつだって兄の体に夢中になってしまう。
 兄だって自分を好きだと言ってくれたはずなのに、どうしてこんなに冷静なのだ。
 兄は自分に夢中になりはしないのか。
「お前がよければそれでよい」
 優しく兄が言い、笑う。
 しかしそれはなんの救いにもならずむしろ追い討ちに聞こえた。
 いつでも兄は、兄としての立場を崩さない。
 求めているのは結局自分だけでないのか。自分だけがその気になり、のぼせ上がり。自分だけが。
 関興は煮詰まっていた。
「…。兄上、こんな時ぐらい私にも見栄を張らせて下さい」
「? なんだ?」
「痛いならそう言って下さったらいい。もっと、私にすがって下さったらいい。そうやって強がられるからきっといつまでも体が慣れないのです。抱いている時ぐらいは私の兄であることを忘れていただきたい。私だけ、こんな風に高ぶって。せめて対等になりたい。こんな時まで弟扱いではやり切れませぬ!」
 どこまで行っても彼は兄だ。それが嫌なのではない。
 ただもどかしいだけだ。もどかしいだけ、なのだが。
 しかしその希望は兄の気には召さなかったようだ。

 関平は表情を険しく変えると、体を起こし、衣服を羽織った。そして弟に、正面に座るよう促す。
 兄が冷ややかに落ち着いているので、関興はすでに気が重くなっていた。
 兄に対していい子を通してきた関興は兄に反抗できなかった。蛇ににらまれた蛙のようなもので、兄がこうだと言えば、そうですとうなずくしかない。
 関平は静かに口を開いたが、その内容は関興にとって相当に衝撃的なものだった。
「私は嘘が好きではないし、特にお前には嘘はつきたくない。だからはっきり言おう」
 そこで、弟が覚悟を決める時間を与えてやるかのように間を取った。一旦言葉を切り、弟の顔を見て、そして続ける。
「私は後悔しているのだ。お前と関係を持ったことを」
 頭を強く殴られたように関興はめまいがした。

「近頃お前はおかしい。なにをそんなにあせっている。なにが怖い。お前の望み通りなのではないのか」
──言うことを聞いてやったろう?
 いつまでもかんしゃくを収めない小さな子供に大人が言うように、兄が言う。
 おそらく、兄にとって色恋など人生において大して重大な問題ではないのだろう。
 よそごとを忘れてのめり込むような事柄でもなく、かわいい弟のわがままを聞いて恋人として受け入れてやるくらい、別段構わないのだ。
 しかし、兄の中で相変わらず聖人君子でいるらしい弟が情けないくだらないことを言い出すのは許せないのだ。
「私がお前の兄だから、怖いのか」
 一言ずつ兄が言う。
「いつまでも、こうなっても私がお前の兄でいるから怖いのか」
 兄の説教はいつもこうだ。
「私は、お前の兄でいられなくなることの方がよほど恐ろしい」
 絶対的に正しい言い分をゆっくりと言い聞かされ、こちらはどうしたって平伏するしかなくなる。
 だから兄に諭される時はいつも、自分は最後には泣いて謝るしかない羽目になる。
 こちらが反省するそぶり見せたのなら、そのあたりで適当に許してくれてもよさそうなものだ。
 しかし、心の底から完全に非を認めるまで、兄が許してくれたためしはいっぺんもない。
 こうした点で兄は父より容赦がない。融通が利かないのだ。
 確かに兄の言うことは正しい。筋が通っている。しかし自分の望んでいることも、正しくもないし筋も通っていないが、一分の価値がきっとあるはずだ。自分はこんなに兄を思っているではないか。その心が出した答えだ。正しくはなくとも一瞥をくれるほどのものではあるはずだ。
 そう思えども口をはさめず、反撃の隙を待ちわびつつ黙りこくって関興が聞いているうちに話はますますまずい方向へ進展する。
「血のつながった兄でないとお前に知られるのが、私は長いこと怖かった。お前は一本気な性格だから、ずっとお前に真実を教えずにいたことを、お前は許せないではないのかと思っていた」
「そんな、兄上! 子供だった私に無理にそんなことを告げるのはかわいそうだと兄上はそうお考えだったのでしょう。興はそんな思い違いはいたしませぬ。兄上が興のことを思って下さるとよく知っております」
「そうだな、だが、」
 関興が取りすがった手を、やんわりと関平は外した。
 兄の静けさが関興には怖い。
「私が実の兄であったならば、お前もよもやこんな気持ちは起こさなかったに違いない」
 それは真を突いていただけに手厳しかった。

「私はお前の兄でいたかったが、お前が決めるといい、どちらにするのか。答えはすぐでなくとも構わない」
──ああ、夢の通りだ。
 自分で決めよと兄は言う。
 しかし関興がどちらにするべきなのか、それは兄の中では始めから決まっている。
 自分は言えるだろうか。なにもかも忘れますから、今まで通り私の兄でいて下さいと。
 兄の期待する通り、言えるだろうか。


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