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難為兄難為弟けいたりがたくていたりがたしとは、本来は、どちらが上とも決めがたく実力に差がないこと。ここでは字面通り、兄でいるのも弟でいるのも難しいの意。



 関興は夢を見ていた。
 夢の中で兄に叱責されているのだった。
 彼はこの歳になるまで兄に説教らしい説教を受けたことがなかったが、彼はいつでも兄に見損なわれるのを恐れていたので、手厳しく兄に叱られるその姿を夢に想像するのはさして難しくなかった。
 気性の荒い父とは違い、兄は諭すように静かに反省を促すのだが、温厚な兄が自分に対して怒りを向けるぐらいであるからして、それはすべて弁明の余地のない、完全なる自分の落ち度であって、彼はうなだれて従容として聞くしかないのだった。
 真にせまった様子で兄は懇々と説き、そして仕上げとばかりに切り出した。
「それで? お前はどちらにしたいのだ」
 夢の中のことで会話の内容まではつかめない。
 それでいて、なにとなにを比較してどちらかを取れと言われているのか関興にははっきりと分かった気がした。
 それはできることならばして欲しくないと彼が恐れていた質問だったがそれだけに、もしも問われたならばどう答えるべきであるかは当たりはすでについていた。
 しかし彼は答えたくなかった。
「興」
 答えを促す兄のいささか鋭い声にぎくりとして目が覚めた。

──ばかげた夢を見てしまった。
 彼は日ごろの悩みがそのまま夢に出るたちだった。
 夢を引きずってぼんやりとしたまま天井をながめ、昔を思い出す。
 彼がまだ小さかったころ、ちょっとした悪さをとがめられるに、兄はいつもこんな風に言ったものだった。
──どうして叱られているか分かるな?
──本当はどうしたらよかったのか、お前は自分で反省できるだろう?
 その兄の態度には二つの側面があった。
 一つには、自分で決めなさい、自ら考えなさいと、そうしたもので、己の自我を重んじてくれているとは幼心にも感じた。
──お前がよくよく考えて決めたことならば、私は叱りはしない。
 兄はくり返しそう言った。
 しかるに残る一面がある。
──お前が間違った結論を出すはずはないのだから。
 口に出して兄はそう言いはしなかった。しかし関興の耳には響くようにはっきりと聞こえるのだ。そして脳裏にいつまでも共鳴した。次第に文言を変えつつ、いつでも鳴り続けた。
──お前に限って間違いはない。お前なら。私の自慢の弟なら。そんなはずはない。
 自分に過度の信頼を置く兄。
 そして兄に取りつくろいたい自分。
 すなわち、どうするべきか考えろと問う兄に対して、兄の信頼に耐える答えを自主的にはじき出さねばならない。
 これまでそうしてきた。時にそれを重荷にも思いながらもそうしてきた。
 しかしこれから先についてはどうだろう。
 夢の中で兄が発した問いに対してもそうできるだろうか。
 関興には覚悟がなかった。

──そうか。またやってしまったのだった。
 いつまでも鬱々と考えていても仕方がないと起き上がったものの、隣で休んでいる兄を見つけてまた苦悩の渦中に引き戻されてしまった。
 兄と寝るようになって、いままでよく我慢できたものだと不思議に思うほど、たがが外れてしまったように四六時中、兄を抱くことばかり考えている。そして実際にそうしてしまう。
 気が済んで正気づくたびに己の浅ましさを反省するのだが、夜がくればまたたまらなく兄が欲しくなる。
 昨夜も、情欲のままに兄を求めて、そしておそらく自分はねじが切れてぱったり寝てしまったのだろうが、見れば兄はきちんと寝巻きを着直しているし、自分に布団もかけてくれたようだ。
 兄のこの冷静はなんなのだろう。
 自分と比してみて、それはまるで炎と氷ほど違うではないか。

 眠りが浅いのか頭の中がどんよりとして現実味がなく、学問所への道すがら関興はぼんやりとしていた。
 そう、ひょっとしたら、何度も疑ってみたようにこれは夢なのかも知れない。
 そう思うが、今がどんなに辛くても目をさましたいとは関興は思わなかった。
 もしこれが本当に夢で、もしも目が覚めてすべて元の木阿弥になってしまったら、そう思うと頬をつねってみる度胸はない。
「痛ってえ!」
 そこに親切にも、嫌というほど頬をねじ上げてこれがまさに現実と教えてくれた者があったが関興は感謝する気には到底なれず、そちらをにらみつけた。
 江陵の貴公子たる関興様にそんなまねができるのは無論張苞しかいない。
「この野郎、なにしやがる! まだうろついていやがったのか。とっとと成都に帰れ!」
「しけたツラしてる幼なじみに喝を入れてやった親切な俺様に帰れたあ、随分と冷たいじゃねえの。大体、俺がこっちにきてまだひと月もないぜ。またあの桟道を長々帰ると思ったらうんざりでよ。いっそのこと、こっちに居つこうかな」
「冗談じゃねえ」
 あれから関興は有頂天とどん底を行ったりきたりしているので途方もない時間が経過したように感じているのだが、実際には兄とこうなってからまだ一ヶ月弱だ。
──ひと月。そうだ、かれこれひと月だ。それなのに、どうなのだ。
 耳年増の関興が聞き及んだところによれば、それはひと月もあれば十分なはずだった。
 人によっては最初からうまくいくこともあるらしいが、体質もあるだろうし、自分の腕前もあるだろう。しかし。
 すでに自分は兄の部屋の天井の木目を見慣れてしまった、それほど兄の部屋に通っているというのに。
 しかしまだ兄にはそれらしき様子がない。
──やはり兄上は私とのことを。
 関興は沈痛な面持ちを浮かべていよいよ深く沈んだ。
 自分はくよくよ悩んでばかりだ。
 一つ悩みが片づけば、もっと困難な次が持ち上がる。
 ひと月前の、どうかして兄と関係を持ちたいと苦悩していた自分に教えてやりたい。
 それが最上でそれが決着だと思っていた自分に。
 お前は無知だと。なにも分かっちゃいないと。

 張苞につきあって官府に足を向けるうちに、一方はますます考え込み黙り込み、もう一方はがなり立てるという妙な二人連れになっていた。
 張苞は父に似て大変気のいい罪のない男で、連れの様子にはお構いなく調子上々しゃべっていたが、その肩をがっちりつかむ者があった。
「ほう、張苞。随分と景気がいいようだな」
「た、大兄」
「お前が私のところを訪ねてきてくれないものだから長旅の疲れを心配していたが、活力はどうやら満ち足りているな」
 いつのまにか背後を取っていたのは関平だった。
「血の気が余っているのなら私が抜いてやろう。腕によりをかけて稽古をつけてやる。勤勉なお前のことだから私がついて見張っていないからといってさぼったりしてはおるまいよな。さぞかし上達したろうな。私ごときではもはや相手も務まらなかろうが我慢してくれよ」
「待て大兄! いえ、待って下さい!」
 勘弁してくれと言いながら張苞が首根っこを引きずられていくのを見送りつつ、兄があまりにもいつも通りなのが胸に刺さる。
 夜になれば自分の腕の中にいる兄。
 しかし昼間は別人だ。
 夜ごとくり返しても、どれだけ熱心にくり返してもなんの変化もない。それはいかにも、夜のできことを否定するかのようだ。
 関興はそれが辛かった。
 実際そうなのかも知れない。
 兄は認めたくないのかも知れない。
 だからこそ、かれこれひと月たっても。
 そう。もうひと月もたつのに。
 関興は昨日の晩を思い出した。

「つ…」
 関平が苦痛に身をすくませる。
 それを十分に気づかう余裕を持つには若すぎる関興は兄を求めた。
 息を詰める口をふさぎ、かみしめようとする歯をさえぎって舌を奪う。
「ふ…。兄上」
 こうして腕の中に兄がいる。まだ信じられない。何度抱いても信じられない。
 夢中を歩いているようだ。
 関興は欲望が命ずるままに激しく体を打ちつけた。快楽が体の心から沸き起こって吹き上がる。
「う…。く」
「あ…兄上…っ! ああッ」
 体を震わせ、関興は吐情した。
「はあ、はあ」
 倒れ込んで兄におおいかぶさると兄が背を抱いてくれたが、なにかが違うと関興はいつも、ようやくそこで思うのだ。
 関興はかばと起き出すと関平の腰を抱き寄せ、中心部分に手を添えた。
 自分は満足したが兄はまだ終わっていない。
「興、よい。構わぬ」
「私の気が済みませぬ」
 腕に抱いて口づけ、たっぷり愛撫しながら高めた。
「あ」
 こうして心身に余裕があるときならば兄のいい顔を眺めることも、反応を計ってことを進めもできるが、かつえているとそう理性的には振舞えない。
 そのせいなのだろうか、兄の体はなかなか慣れない。
 自分のやり方が性急過ぎるのだろうかと関興は思う。
 乱暴とまではいかないが、一方的に兄をむさぼってしまう。そして後から反省するはめになる。
「別にかまわない。そんなことが目的なのではない」
 淡白に兄は言う。
 確かにそれはそうだが。兄の言うことはいちいち正論なのだが。
 どこかしら、納得がいかない。
 理が勝ちすぎている。つまりそこには熱がない。
 兄の情熱が自分に向けられていない。
 自分だけが快楽を得るのは、自分が一方的に兄を好きなのだとそう象徴しているようでもある。
 そして兄がそれに興味を示さないのは、更になにかを暗示しているようでもある。
 それを打ち消すように、関興は念入りに兄を愛撫したのだったが、いつのまにか行為にのめり込んでしまい結果はいつも通りだ。

 関興はそこで現実に立ち戻った。
 兄の体が自分に応じてくれないのは、その心が応じないからだ。
 そうに違いない。
 関興の中で、ひらめくようにそう結論が立った。
「興、お前も一緒にくるといい!」
 立ち尽くす彼に、兄は快活に叫ぶ。
 彼には葛藤はないのだろうか。なぜ?
 自分がこんなに悩んでいるというのに、自分のもう半分であるはずの兄がなぜああしていられる。
 自分たちが心も体も半分に分けあって共有したなどというのは、独りよがりな自分の願望でしかないのか。
「わ、私は、私は結構です!」
 関平がいささか肩をすくめて小さく吐息したのは、弟がきびすを返して走り去った、その後だった。


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