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「ち、畜生! 俺はもう帰るぞ。明日にでも成都に帰るからな!」
「まあ、そう気を落とすなよ」
 我ながら、気のない励ましだと、酒に飲まれてぐたぐたになっている張苞を一応は気の毒に思って見やりつつ、関興は思った。

 使者としてやってきて、もう何か月も江陵に居座っている張苞。
 とっとと帰れと関興が追いやろうとしても聞かず、せせこましいことが大の苦手な張苞があの窮屈な宿舎で我慢しているなど、なにか裏があるのだろうとは思っていたのだが。
 はたして彼には江陵に好きな娘があったらしい。
 本営の成都移転でその子の顔を見るのもままならなくなっていた張苞は、使者を仰せつかり喜び勇んでやってきた。
 役目が済んでも江陵に留まりせっせと粉をかけていたらしいのだが、父・張飛からの帰還の催促が最近矢のようであり、張苞は一大決心をしてその娘に言い迫った。
 腹蔵のない張苞が関興にまで秘密にしていたということは、それは相当に本気であったのだろうと察せられるが、やんぬるかな彼は一刀両断のもとに振られたのだそうだ。
 また、その浴びせられた言葉というのが──。
 それを思うと関興は思わず口の端が上がりそうになり、親友のために一応はこらえる。
 なんとも気の毒に張苞は、関興様の方がすてきだと、そう言われたそうなのだ。

「お前は秀才だからだとよ」
 それにつけては関興としても否定してやれる要素はこれっぱかりもない。張苞も甘受するしかないだろう。
「おまけに品行方正だと。どこがだ!」
 本質は別としても、少なくとも関興はそう見せかける努力はしている。誰かと違って。
「それに男前でいらっしゃるとさ。そうかあ!? 俺の方がよっぽど美男子だろうが」
「お前と違って、その娘は見る目があったんだろうよ」
 受け流しつつ、この場に兄を誘わなかったことを関興はもったいなく思った。
 自分が世間の人からこうして高い評価を受け、とりわけ、男性的魅力があるとされていることを、兄に聞かせてみたかった。
 兄の中に厳然として消えずにいる小さい弟。それを払拭できるいい材料になっただろうに。
 兄が自分を見直し、そしてもっとあだめいた眼で見てくれるようにもなるかも知れないではないか。

 夜の帳が下りると同時に大粒の雨も落ちてきた。空はごろごろと低いうなりを上げ、雲間に稲光を見せている。
 酔いつぶれた張苞を宿舎に送り届けてやり、雨を避けつつ急ぎ関興が帰宅すると兄が家の門前で待ち構えていた。
「遅くなるのなら使いを出せと、いつも言っているだろう」
「…。はい、その、申し訳ありません」
──またこれだ。
 恋仲が定着したと思ってもいまだ改まることない子供扱い。しかしこれでも、遅くなるなとまで言わないのは兄の最大限の譲歩なのだ。
「張苞と飲んでいたのですが、あいつ荒れていて、私が席を立つのも許さないものですから」
「なにかあったのか」
「ほれていた娘に振られたそうです。こっぴどく」
 なんと言って振られたのか、熱弁をもって兄に言い聞かせたかったが、自分の口から言うのではあまりにもあざとかろう。
「張苞のやつがなあ。けんかと酒ぐらいにしか興味がないかと思ったが。そんな年頃か」
「そうですよ兄上、興ももう、帰宅が遅れて叱られるような歳でもありません」
 口幅ったいことを言わせてもらえば、今ではもはや巷の娘の関心を集める、そんな自分なのだから。
 しかし兄の返しが振るっていた。
「いくつであろうが、かわいい弟の行方が知れなければ心配するではないか」
 関興は絶句する。
──や、やられた。
 兄の中で自分はいつまでも小さい弟あるだけでなく、かわいいかわいい弟なのだ。それはおそらく、永久に。

──まあ、いいか。これはこれで。
 しばし照れくさく沈黙したのち、早速弟の特権を行使して関興は兄の腕に抱きついた。
「今夜これから部屋にお邪魔してもよろしいですか。ねえ、兄上」
 部屋に行くとは、もちろんそういう意味でだ。ところが。
「なんだ、お前まだ雷が怖いのか」
「兄上! ひどい!」
 曇天を恨んで悲痛に叫んでも、兄はおかしそうに笑っているだけだ。
──ああやはり、一人前の男に見られたい。


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