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 威勢よく酒場を出てきたはいいが、長くもない家までの道のりをたどる一歩ごとに心が重苦しくなり、門前に立つと足が動いてくれなくなった。
 なにせ物心ついたころから見栄っ張りだったのだ。どうやってそれを捨てる。
 大体、どうしてそんな子供のうちから見栄を張ることを覚えたかといえば、それは。
──自分をよく見せたい人がそばにいたから。
 つまり兄だ。
 自分を大層かわいがってくれる兄をがっかりさせたくなかった。自慢の弟でいたかった。兄に好かれたかった。

 馬寄せあたりをうろうろし、道行く人の視線が痛いのでしかたなく門をくぐったが、思いつめた顔を家人に見とがめられたくなく、中門は通らず脇にそれ、板塀と壁の間を、張り出した木の枝を払いつつ兄の部屋の裏手まで進んだ。
「兄上兄上、興です。入れて下さい」
 つま先立って高窓から顔をのぞかせる。
「どうした興。なぜそんなところにはまり込んでいるのだ」
 兄の手を借りてよじ登り部屋に入ることはできたものの履物の始末に困ってどうにも格好がつかない。これから一世一代の告白をしようというのに出鼻からつまずいてしまった。
 いや、これでいいのだ。どうせばつの悪いところをみずからさらさなければならないのだから。

 向かい合って腰を下ろす。
 こちらが気負っているのが兄にも分かるのだろう。空気が重い。
 息が詰まりそうな雰囲気を打ち払うべく、意気込んで関興は口を開いた。
「兄上、お話があります。どうか途中でさえぎらず、最後まで聞いていただけますか」
 関平はただあごを引いた。
 落ち着き払ったその態度に、もう負けた気分になりながら、敗戦にけじめをつける心持ちで続けた。
「兄上は昔からいつでも私をほめて下さいました。ですが本当は、私は兄上の思うような男ではありませぬ。見栄っ張りで、その上気が小さいのです。卑小な男です。兄上に対しても、卑怯なことをしてしまいたいと思いながら、ただ見栄が邪魔してできなかったのです」
 兄が不思議そうな目で見るのに、今口をはさまれればくじけそうだったので、急いで続けた。
「兄上、ただ聞いて下され。私は父上のような豪胆な性格ではございませぬ。兄上の思われているような立派な弟ではないのです。どうか身内びいきをやめて私を見て下さいませぬか。兄上に本当以上によく思われるのは、見損なわれるよりまだ苦しいです」
 意志を固めていたはずが、言いながら少しずつうつむいてしまったのに気づいて関興はきっと顔を上げた。
「兄上に見合うような男では今はないかも知れませぬ。いつか立派な男になるなどと保証のない約束しかできませぬ。それでも兄上が好きです。今胸を張っていえるのはこれだけのつまらぬ男です。それでも兄上が欲しいです」
 ふう、と関興は息をつき、声色を落とした。
「言いたいことはこれで終わりです。ここから先は、異論があれば怒鳴るなり、殴るなりしてとめて下され」
 関興は握り締めた手の平ににじんだ汗を拭うと、兄に膝を寄せ、その手を握った。
「兄上が欲しいのです。自分だけのものにしてしまいたいのです。好きだと言って、それですぐに体を求めるなどと、短絡的で子供じみていると思われますか。でもこれが私の本心です。もう兄上に見栄を張るのはやめました。嘘の自分を好きになってもらっても仕方ございませぬ。本当の私を分かっていただきたいのです。それで嫌われても仕方ありませぬ」
 言い終わって兄の肩口に頬を寄せ、関興は苦い顔をして続けた。
「いえ、やはり嫌われたくはないです。兄上に好かれたいです。でも嘘をつくのももう嫌です」
 頼み通り黙って聞いてくれていた兄が肩をゆらして笑ったので関興は気分を害した。
 口をはさまないどころか兄がなんの反応も示さず、自分だけがしゃべり続けているのも気まずくなってきていたところに、初めて兄が見せた反応がこれというのはあんまりだ。
「兄上! 兄上から見たら興は子供かも知れませぬ。ですが真剣に申し上げているのにお笑いになるのはひどいです」
「済まない。おかしくて笑ったのではない。いかにもお前らしいと、かわいく思っただけだ」
 関興の腕をやんわり外させると、その手を自分の膝に置かせ、その上に自分の手を重ねて、関平は弟の目を見つめた。
「よいか、興。私も伊達にお前の兄ではない。お前が隠しているつもりのことも、お前のことはなんでも知っている」
「え?」
 関興はどきりとした。
「考えてもみるがよい。お前が生まれた時から見ているのだ。お前が嘘をつけば分かる。お前の性格は、お前よりも私が知っている。ろくに言葉もしゃべれないうちからもう見栄っ張りで格好をつけたがりだったこともな」
「で、では、私が色々と立ち回っていたことも全部知っていて、それで私をからかっていたのですか」
「からかうなどとは言いすぎだ。しかし、正直面白かった」
「ひどいです」
 むくれて下を向いた関興だが、手を強く握られて、心臓も握り締められたようにどきりとし、あわてて顔を上げた。
「私の負けだ。いたずらにじらすようなまねをして済まなかった。答えなど始めから決まっていたのだ。私もお前が好きだ」
 関興は呆然として、まじまじと兄の顔を見た。
──ゆ、夢だろうか。これは。
 兄は今自分を好いていると言ったのか。そんなことがあるだろうか。
──なんたる都合のよい夢。ああ、夢でもよい。いや夢なら覚めぬうちに。
「兄上、ではその、口づけても…?」
 視線を伏せて関興は、蚊の鳴くような声で言った。
 関興はこういう物言いが大嫌いだった。ぼそぼそと口ごもって語尾を濁したり、人の目を見ずに話すのが。
 世の多くの人がなぜそういうまねをするのか関興はずっと忌々しく思っていたが、自分がその心情になってみてやっと分かった。
 関興はなにをしても人より勝り、ずっと胸を張ってこの世を生きてきたので知らなかった。
 自信がないのだ。
 はっきり言葉にして断られたら立ち直れないではないか。
 こうして小声で言ったならば、返事をもらえなくても、聞こえなかったのだということにすればいい。なかったことにしまえばいい。相手の目を見て言った日には、口では応と返してくれても目が拒絶していたらどうするのか。
 兄を守れる男になるなどと言ったのも、自信がなかったのだ。
 なにか分かりやすい資格を示したかった。

 うなづいた兄の頬に手を添え、唇同士を触れさせると、一瞬強く押しつけて、そして離れ、抱きしめた。
 すぐそこに、触れたばかりの兄の唇がある。兄の吐息をほほに感じる。
 胸があまりに高鳴って破裂しそうだった。
 兄は避けようとする様子はない。もう一度触れても嫌に思わないだろうか。そうしてもいいのだろうか。
 そろそろと唇を再び寄せる。
 嫌なら避けて下さいと、嫌ならどうかそうして欲しいという意味を込めてそうしたのだが、兄はやはり逃れず、関興は再び目的を遂げた。

「興」
 兄の体を抱いて、関興はまだ夢を見ているようにうっとりしていたが、次の言葉は厳しかった。
「できれば、お前にあきらめさせるつもりだった」
 意図は読めなかったが、しかしその言葉は関興の胸をぐさりと刺した。
「…。なぜ」
 ここで対応を誤ればまた振り出しに戻るという予感がして、関興は固唾を飲んで先を待った。
「お前は私の弟だ。大事な私の弟だ。卑下して言うのではないが、なにも男で兄である私を選ぶことはない」
 しかしその言葉に胸の痛みはすぐ鎮まった。なに、そんなことかと、そう思った。
「もっと他によい相手がいくらでもあるだろう。お前にふさわしい相手が」
 関興は兄が話していると口をはさむ癖があって、それだけはしばしば兄にたしなめられたものだが、今は兄がとうとうと話すのをじっとして聞いていた。
 年齢も立場も、兄に見合うものはなにもない自分は、とにかく自己主張した。自分をよく見せたかった。自分に都合の悪いことを兄が言えば、あわててさえぎった。
 してみれば、あれも自信のなさの現われだったのだ。
 しかしこれだけは自信がある。兄の言葉を無理にさえぎらずとも、最後まで聞いても十分に説き伏せられるだけの自信がある。
 関平が言葉を収めてから、ゆっくり関興は切り出した。
「兄で悪いと私は思いませんでした」
 兄に思われてる自信はなくてもその逆は自信がある。
「私には兄上しかありませぬ」
 兄は虚を突かれた様子を見せ、困った顔を見せていたが、腕は自分を抱きしめてくれた。
「私は根性なしですから、嫌いだと一言おっしゃればそれっきりだったものを」
 まだ困り顔だった兄は、しかし次第に口元から笑った。
「言えなかった」
 頬を上気させているのがたまらなく愛しく、関興は再び唇を寄せる。
「ん、」
 唇を触れ合わせるだけではもう足りず、舌で兄の歯を探り、さらに兄の舌を吸った。
──ああ愛しています、兄上。
 彼は自分のものなのだ。こうして体に触れてもいい。唇に触れても構わない。思うさま手にできる。
 先だっての晩、ひそかに口づけることもできずじまいだった晩が嘘のようだ。
 つと唇を離して見つめると、兄は照れくさそうに、控えめに笑って見せた。


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