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 なんだか、大人になってから──
──いや、まだなってない。
 関興は自分の考えに訂正を入れて続けた。
 大人に近づいてから、色々なことがうまく行かなくなったように思う。
 子供時代にはなにもかもが思い通りになった。この天下は自分のものだった。
──すると、本当に大人なりきってしまえばもっと思うに任せなくなるのだろうか。
 関興はうんざりした。
 昔は早く大人になりたかったものだった。いや、今こそその思いはもっとも切実に強まっているのだが、それがうらやましいばかりとは思えなくなっている。
 父と兄だけが大人でなんでも知っているのをずるいと思っていた。
 その最たるものは、兄が父の子でないと教えてもらえなかったことだ。
 正式に聞かされたことはいまだにない。つんぼ桟敷に置かれているように思ったものだ。
 始めはもちろん疑うはずもなく兄も同じ兄弟だと思っていた。
 だんだん知恵がついてきて、兄の年齢が母と合わないのを理解できるようになって漠然と不思議に思い、父に他の妻があるというわけではないとも聞きかじって知り、そうなれば、これまで意味が分からず聞き流していたのだろう、何気ない会話に出てくる兄の郷里の話なども耳につくようになって、やはりと思い、いつのまにやらそれは既定の事実になっていた。
 大人になるというのもそんなものなのだろう。
 いつの間にか、なんとなく、ふと気づけばもう大人になっている。
──なにかあったからその日から忽然として大人になるというわけではないのだ。
 頭に思い浮かんだその「なにか」を具体的に想像しないよう関興は努めた。
 関興はこのごろとみに、自分がまだまだ繊細に欠ける子供であることが嫌でたまらなかった。
 そして、いつもどんなに思いの丈をこめて言い募っても、兄が子供の癇癪と思って聞いているようでいらいらするのだった。
──大人になりたい。早く。兄上に対等と認められたい。

 ここ半月ほど兄が兵舎に詰め切りになってしまったので、避けられたように思っていきどおった関興は、たまたま寄ってみたという風を装って兵舎に乗り込んで行った。
 忙しく働いているところに手前勝手な感情で押しかけたことを悟られて叱られるだろうかと思ったのだが、それでも構わないとやってきた。思い切った手段で突破口を切り開かなければ事態はどうにも動きそうもない。
 ところが関平はこちらの意気込みが拍子抜けするほど弟の訪問を喜び、久し振りに会ったのだ、一緒に休んで色々話そうではないかと誘った。
 互い違いに枕を置いていかにもただ仲のよい兄弟のように横になった。兄は仕事の話をし、関興は問われて家のことを話し、なんとも実のない会話に関興がじれ、しかしどうにもできずにいるうちに、兄は次第に眠ってしまった。
 兄が寝ついた様子に関興は起きた。
──こんな状況で眠れるわけがないではないか。兄上は私をなんだと思っているんだ。
 そう腹は立てるものの、しかし兄には下心を隠したくて共寝を断りもしなかったし、寝たふりもした
 起き上がって兄の寝顔を眺める。
 安心しきって寝ているこの人は、自分の言った言葉を本当に分かってくれているのかと、そう思った。
 男から好きだと言われて、その相手と平気で一つ床で眠るなど、なめられているのではないのか。やはり自分は子供だと思われているのだ。
「兄上。襲いますよ」
 兄も少しは自分を意識してくれていて狸寝入りをしているのなら、これで慌てて起きるはずだ。
 そう期待して関興は予告したが、どうやら本当に眠ってしまっているようだ。
「私は本気です、兄上。本気ですよ」
 先日兄に言われた言葉が彼には重くのしかかっている。
 お前はガキだと突きつけられたことを払拭したい。どうかして名誉挽回したい。
 もう大人であることを兄に分からせたい。しかもできることなら、なるだけ手っ取り早い方法で。
 喉が渇いて張りつくようで、関興は唇をなめてしめした。そして兄の唇を意識した。
 気持ちよさそうに寝息を立てる、薄く開いた唇。
 唇の形一つ取ってもやはり自分と兄は違う。同族のそれではない。輪郭、目鼻立ち。どれも明らかに別の血統のものだ。
 その唇に吸い寄せられるようにおおいかぶさった。
 あと二寸、一寸。あと薄皮一枚。
 しかしそれ以上、どうやっても近づけないのだった。

 自分の意気地のなさにため息をつくと、吐息だけが兄に触れた。それだけで十分罪を犯した気分になって、関興は体を起こした。
──見切られているな、性格を。
 一緒に寝ようがどうしようが、兄の隙を突いてどうこうしようなど、自分ができるはずはないということを。
 関興は曲がったことができない。それは関平も同じだが、兄が本質的に悪事に向かないのと違い、自分は思い切ってやってみたいことは色々あるのだが、後で後悔するのではないか、人が白い目で見るのではとの損得勘定が先に走ってしまうだけなのだと関興は自分の狭量を思った。
 自分は善人とは程遠く、しかし悪さをしでかす度胸もない半端者だ。
 そんな自分が嫌だった。
 関興は意志を固めると兄の肩を押さえ、体重をしっかり掛けてから改めて兄に挑んだ。
「起きて下さい兄上」
 先ほどの、できれば起きて欲しくないと心底にあった時とは違う意思のある声だったので今度は関平も眼を開いたが、しかし熟睡しているところを急に呼び起こされて、日ごろ寝起きのよい彼もすぐには反応できない。
「興? なんだ…?」
「抱きたいです兄上」
 関平は眼を見張った。深い眠気もさすがに吹き飛んだようだ。
「興はもう大人です。証明できます」
 関興は兄の衣服を乱して、現れた鎖骨の筋にたまらない思いで口を落とした。
「興」
「好きです兄上。好きなのです」
 そう言えば免罪符になると思ってでもいるかのようにくり返し口にして肌をたどるのだが、しかし。
「やめるんだ」
 ただの一言だった。
 その静かな一言で体中の血が冷えてしまった。
 肝に氷を押しつけられたように思った。
「聞こえぬのか」
 そして、心も体もなえ、子供のように小さくなってかたわらに座り込んだ。
 兄は激さず、怒った風でさえないいつもの声でそう言っただけだったのだが、冷や水をぶっ掛けられて夢中で見ていた夢から叩き起こされた、そんな気分だった。

──とんでもないことをしてしまった。
 なにをやっているのだろう自分は。
 もう大人だと証明するはずが、正反対のことをしてしまった。
 馬鹿げた子供じみた欲しがりで、とにかく手に入れてしまえば自分のものになると、相手の心も考えず行動に出た。
 しでかしてしまったことの後悔がどんどん大きく渦を巻いて関興が飲み込まれそうになっていると、乾いた音が耳元ではじけて突如頭の中も目の前も真っ白になった。
「目を覚ませ、興」
 ひりひりと頬が熱いのに気づくまでしばらくかかった。兄に殴られたのだと分かるまでには、もちろんもっとかかったのだった。
──兄上に、殴られた。兄上に。
 思考回路が麻痺してしまい、ただ繰り返しそうとだけ頭の中で鳴り響いた。
──兄上が、私を。
「お前はそんな男ではない。頭を冷やすのだな」
 関平は慌てた風もなく、冷ややかにそう言うと弟を押しのけて部屋を出て行った。
──兄上の中で、私は一体どんな男なのですか。
 恐ろしくて聞けなかった。答えは大体想像がつく。
 関興は兄に叱られたことがただの一度もなかった。それは弟がかわいいから甘やかすのではなく、関平の目に弟は十全無欠で、直さねばならないところなどどこもなかったからだった。関平の弟は、父に似て怜悧で勇猛で、それでいて子供らしく素直で罪がなく、関平の自慢の弟であった。
 関興から見て、それは明らかに自分とは別人だった。しかし兄には自分は確かにそんな風に見えるらしいのだ。
 関興はだいぶ前からそれに気づいていて、大層窮屈だった。
 兄の中の偶像の自分は、片思いの相手にまるで相手にされなくても強硬な手段に訴えることなどするはずもない、生まれてこの方曲がったことなど考えたこともないような、そんな男なのだった。
 兄に失望されたくなくて、よい弟を取りつくろってきた関興にも罪はあるが、ここにきて、かぶった猫が関興には重かった。
──そうやっていいように誤解されていてさえ相手にされないというのに、私が本当は卑小なのを知れば、兄上はどうなさるのだろう。
 いや、たった今、自分の乱行を目の当たりにしてさえそれを信じようとはしなかったではないか。
 兄が自分に向ける鉄壁の信頼に、前途を思って関興はさらに気がふさがるのだった。


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