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それはまだ関興が幼少のころのある夏の夜。
湿り気を帯びていた空気は遅い夕立に変わり、夜が更けても降りやむどころか一層激しさを増した。
いかにも厚い雨雲はごろごろとうなり、関平は今夜は静かに眠れそうもないと予測して早めに床に就いた。
しかし彼には雷はなんら問題ではない。
「わああっ!」
思った通り、甲高い悲鳴に眠りから覚まされて、見れば布団の足元あたりが小山のようになっている。
「またなのか、興」
めくってみれば弟が持参の枕にかじりついて縮こまっていた。
「だ、だって兄上、落ちたんですよかみなりが! すぐそこに! いえきっと私の部屋の屋根に落ちたにちがいないんです」
関平も眠りかたがた雷鳴を聞いていたが、まだ距離はかなりあるように思われた。
しかし自分のところに逃げ込んでくるたびに、庭木に落ちて木が裂ける音を聞いただの、火事だという叫び声が隣家からしただのと、自分が耐えがたかったのは無理もないのだといういいわけを弟が必死になってするので、関平もいちいちそこに構わない。
がたがた震えている弟を苦笑して見た。
「武人になろうというお前が雷が怖いのか」
「武人はなにもかみなりと戦うわけではありませんよ兄上」
声は震えていても言うことはいつものように理屈っぽく一人前だ。そして勝気だ。
「だれにでも苦手があるのはしかたがないことではないですか。春秋の英雄にもかみなりが怖くてならなかった人はいるはずです。そうでしょう? それに、目の前に姿があらわれてたたかえる相手なら私だって恐れはしませんが──」
せっかく関興が面目を取り戻そうとやっきになって雄弁を振るっているところだったが、そこに追い討ちの一撃が来襲したのですべては水の泡になった。
「ひいっ!」
鼓膜をつんざく鋭い雷鳴に続く、地が真っ二つに割れたかのような地響きに心臓がとまりそうになった関興は、矜持がどこかに逃げ飛んでしまって身もふたもなく兄に取りついた。
「い、い、」
「今のは確かに近かったな。しかしまだ数里はあろう」
口がきけなくなったらしい弟に代わって関平は続けてやった。
「お、おち、」
「落ちたろうな。しかしお前、さっきはお前の部屋に落ちたのだろう? 今更騒ぐようなことではないのではないか」
からかわれても反論する余裕がなく涙目になっている弟がいささかかわいそうになったので、関平は二人で頭まで布団をかぶって横になった。
「こうしていればいくらかましだろう。さ、手を握っていてやるから次がくる前に眠ってしまえ」
外音が遠ざかって代わりに兄の声が耳に近く聞こえるようになると、落ち着くと同時に関興は自分が大層情けなくなった。
「兄上は、小さいころかみなりが怖かったですか」
「いや、私は特に、覚えがないな」
「では他になにか、そう、父上は怖くありませんでしたか」
「私の父はあまり──、いや、父上は今でも少し怖い」
「そうですか、兄上でも」
関興は少し安心してうとうとしだした。
「やはり兄上、かみなりなど怖がる男は、立派な武人にはなれないでしょうか。私のようになさけない男は、父上や兄上のようにはなれぬでしょうか」
半分眠りに落ちかかっている弟が歳相応に幼い心細さを見せるので、関平は愛しさが胸にせまって彼を腕に抱き寄せた。
子供の髪というのはなぜこんなにいい匂いがするのだろう。
どんな動物でも、大人が愛さずにいられないように子供はできているらしいのだが、そんな中でも関平にとってこの弟は格別だ。
「心配することはない。お前はきっと誰もが憧れて見るような立派な男になる。天下に比類ない英傑になる」
「はい…」
口癖のように聞かされ慣れている兄の言葉を子守唄にして関興は寝ついた。
その桃のように柔らかい頬に唇をつけてから、関平も目を閉じた。
雷はとうに静まって、二人の眠りを妨げるものはなにもなかった。
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