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──父上のために、私は一体なにができる。
 強行軍なら一日掛からない華容から夏口への道程をたっぷり二日かけて戻ってきたのだ。もうこれ以上は引き伸ばせない。遅くても明日の昼には劉備の前へ出て釈明をしなければならない。
──どうやって。
 軍律を犯せば罰を受けると明言して父は出陣した。どうにも言い訳のしようもない。
──なにができる。
 軍令違反はすなわち死罪。それならば、自分の答えも一つしかない。
 そう分かると、みるみるうちに心の霧が晴れた。
 父の役に立つ自分が見当たったからか。
 そうではなかった。

 夏口の城の正堂で、罪を問われるまでもなく関羽は自ら進み出て処罰を求めた。
「お待ち下さい!」
 ことの次第を重々知りながら審問を始めようとする諸葛亮をさえぎって、自分こそが咎人であると関平は名乗りを上げた。
「平!」
「父の代わりにこの私をお切り下さい。いえ、代わりになどならぬとは重々承知いたしております。ですがこのたびのことは私に責任があるのです」
「でしゃばったまねを致すな」
「どうか。父の罪ではございませぬ」
 関羽は引き立てようとするが、膝をついたまま関平はそこを動こうとしない。
 諸葛亮は無言で先を促した。
「軍師は父を心配して私をおつけになりました。それなのに、その大事に私が役割を怠ったのです」
「いい加減にいたせ。お前などの出る幕ではない」
「ここで親子げんかは遠慮していただきましょう」
 ころあいを見て諸葛亮が目配せすると、劉備は周囲に分からないようにうなづいてから、歩み出た。
「軍師、同じ日に死なんと誓った弟が死罪となっては余も生きてはおれぬ。この通りだ」
 そう言って頭を下げる。
「後日の功をもって贖罪に代えるというわけには参らぬか」
「我が君にそうおっしゃられては、私には以上申し上げる言葉はございませぬ」
 してやったりの内心など毛ほどものぞかせず、諸葛亮はそれで評定を打ち切った。

 死罪は許されたもののしばらくの蟄居を言いつけられて、二人は館の一室で向かい合い、少々居心地の悪い思いをしていた。そして少しずつ、互いに話し始めた。
「なぜあのようなまねをいたした」
「なぜもなにも、本当のことでございます。私は役目を放棄して父上のお役に立ちませんでした。罪を受けて当然です」
 しかし華容のあの時関平が平常心でなかったことは、関羽はよく知っている。
「父を恨んでおるだろう」
「いえ。もうお忘れ下さい。私の申し上げたことは」
「それでよいのかお前は」
「私も私なりに考えました。それで分かったのです。確かに父上を思う気持ちはございました。ですがそれは一時の気の高ぶりだったのです。私は父上の息子です。そう気づいたのです」
 そうと分からぬ作り笑顔の下で関平は父に語った。
──嘘です父上。
 父の罪を受けようと思った。それは本当だ。しかし実際には、もっと他の原理が関平を動かした。
──嘘なのです。なにもかも。
 思ったのだった。死んでしまえばそれで終わりにできると。
 もうどうにもならない父との関係を。
 すべてをご破算にできると思った。
 意のままにならない自分の心に悩まされることもなくなる。
 振り捨てようとして、その実いつまでも抱いていたいこの気持ちを誰に恥じる必要ももうなくなると。
 以前の自分なら、そんなことを思いつくはずもなかっただろうに。
──私は変わったのです、父上。平気な顔で嘘をつくことも覚えたのです。
 心で思う分にはなにごとも罪にはならない。
 ただ思いが募ったからといって人に押しつけるような幼いまねはもうしない。
「酒を召し上がりますか」
「うむ。気分がよい。そういたすか」
「すぐ準備させます」
 ここにたどり着くまでに随分痛い目も見た。
 自分の心が思ったようにきれいではないと知った代わりに、それを隠すことを覚えた。
──父上の思う通りの息子として生きてまいります。もう二度と、縁を切ろうなどと父上に思わせるまねはいたしますまい。
 それで父を失わずに済むならなんでもない。
──父上が頼りないと案じた以前の平はもうおりませぬ。父上のそばにあるためならば、今度こそどんなことでもいたします。父上をだますこともいたします。
「深酒はおやめ下されよ。もうあのようなことはご免です」
 酌をしながら澄ました顔で父に言ってみる。
 一瞬あっけに取られてから、父は声を上げて笑った。
「肝に銘じよう。お前もつき合え。父にばかり飲ませるな」
「いただきます」
 父の杯を受けて、空ける。
 いい飲みっぷりだと父は満足そうだ。
 作り笑いで当たり障りのない話をするくらいなんでもない。
 心と違うことを言うくらい、なにもものも思わないふりをするくらい、なんでもないことではないか。
 肩の荷がおりたらしく珍しく快活な父に笑ってみせた。
「どこまでもお供いたします、父上」
 それだけは本当だった。
 かつて川の流れを眺めながら、自分にはまだ残されているものがあると思った。それは父を思うことだった。
 あれから更に多くのものを手放した。しかし、自分を手放してさえ、それだけはまだ残っている。
 それだけ手元に残れば他にもうなにも望まなかった。


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