|
歴史に名高い赤壁の戦。
文字通りその戦の風向きを変えた諸葛亮は、急ぎ夏口の陣営に戻ると即座に劉備の部将を曹操の退却路に配備した。
関羽に誓紙を出させて出陣を許すのも、なにもかも始めから諸葛亮の筋書きだった。
「では将軍は関平殿と共に華容の裏道に五百の兵を伏せてお待ち下さい」
わざわざ関平を連れていくよう言いつけられたのが関羽の癇にさわった。
「平はおいてまいります。あれはまだ傷がいえませぬゆえ」
「大したけがではなかったようにお見受けいたしております。それが本当の理由ではございますまい」
「なにがおっしゃりたい、軍師」
その実力は認めても、関羽のように矜持の高い種類の男が、人の骨の髄まで見通す諸葛亮に気を許すはずはなかった。
──どこまで知っている、この男。
下らぬことを言い出せばただはおかぬと厳しい視線で釘を刺すが、諸葛亮は受け流す。
「常に伴って出陣されるではないですか。別段変わったことを申し上げているとも思いませぬが」
「これは異なことを申される。先だって別行動を取らせたのは軍師殿の命ではなかったですかな」
表面上互いに笑みさえ浮かべて話しているが、一触即発の状況を周囲は固唾を飲んで見守った。しかしいら立っているのは一方的に関羽だった。
「あれは失策でした。いらぬ面倒を起こしてしまったようですな。その件に関してはおわびを申し上げます」
悪びれず謝って見せる諸葛亮に、関羽は確信犯と悟った。
聞いている者たちは関平に傷を負わせたのを話していると思って聞いているが、当事者にはもちろんそうではない。
「身を案じて言うよりも、邪魔だと突き放せば抗弁できぬとお考えになったのでしょうが、逆効果です。将軍は存外ご子息の性情をご存じないようだ」
やはりなにもかも知っているらしい諸葛亮は、わざと関羽の不興をあおって続けた。
「関平殿は温和な性格ですから一見して分かりづらいが、あれでいて根っから武人。下手な温情をおかけになるのはおやめになった方がよろしゅうございましょうな」
「息子のことに口出しされるいわれはござらぬ。これは内輪の問題だ」
「いいえ、これは将軍だけの問題ではないのです。関平殿はただあなたの息子ではない。我が君を支える柱の一本です」
「説法はもう結構だ。軍令ならば従おう。兵の準備の時間もあるのだもう失礼させていただく」
関羽は乱暴に軍札を受け取ると正堂を去った。
「軍師、義理を山よりも重んじる弟だ。敗走する曹操に出会えば見逃すに違いないぞ」
劉備は気づかわしげに諸葛亮に告げる。
「それでよいのです。星を占ったところ曹操の命運はまだ尽きておりませぬ。どうせ取り逃すのであらば、この機会に将軍に過去の恩義を清算させて差し上げましょう」
「まこと妙計だ。しかし、どうせ見逃すためだけに向かわせるのであらば、無理に関平を伴わせずともよいのではないか」
「それもこれも合わせてうまく行くのです。しかしこの件に関しては願わくば殿は仔細をお尋ねにならず、この諸葛亮の胸先三寸にお任せ下さいますれば僥倖です」
「軍師の考えは余の考えだ。任せぬことがあろうか」
「いつもながら、いたみいります」
関羽が去った方向を眺めて言いやった。
「傷は膿まないうちに風にさらしてしまった方がよいのです。少々乱暴ではありますが」
諸葛亮はすべて見通していた。
関平はまじめでまっとうな普通の青年だ。後ろ暗い思いなど知らずに生きてきたに違いない。
そんな彼は、自分が許されない人を思ったことに、そしてそのために利己的になった自分に驚き、そして先行きを見失っている。
自分と歳の近い関平のまだ青いところを見て、諸葛亮は余計と知りつつ世話を焼きたくなった。
今一緒に行動させれば、彼らはきっといさかうだろう。
そんな中関羽が敵を見逃せば、その失態を関平は自分の責任と思うであろう。
そして思い出すだろう。
父と、父を思う自分と、どちらが大事なのか。
|
|