|
──しまった。眠っていたか。
春風が壁をたたく音に関平はうたた寝からさめた。
父の夜遊びがこのところとみにひどいのを母が心配し、起きて待っていると言うので、自分がと請け負って母と弟妹は休ませた。これには父にどうしても今日中に伝えねばならない伝言もあったためなのだが、いつのまにか眠ってしまったようだ。
──しかし、たるんでしまったものだ。
武人の仕事は夜討ち朝駆けであるから、戦場にあっては三日ぐらい寝ずにいることも珍しくはない。しかし、ここ数年の平穏な生活にあってすっかりなまったようだと反省した。
かと言ってこんな夜中では鍛錬を兼ねて眠気覚ましに剣を振るうというのもおかしかろう。
小難しい書など読めば完全に寝入ってしまいそうなので、彼はぼんやりしたままつらつらと考えごとを始めた。
平和でなまったとは言うものの、彼ももちろん平和はよいことだと思う。
誰も傷つかず、誰も飢えない。暖かい布団で眠ることができ、家族と暮らせる。彼自身も益州遠征で家族と離れる辛さを実感したから、それはよく分かる。
しかし武人の本分は有体に言えば戦場にこそある。
諸葛軍師などは、戦わずして勝つことこそ上策といつものあの調子で言うだろう。それは分かる。よく分かる。
しかし、包み隠さない本心を言うならば、戦場にあってこそ武人は生きる。
兵を指揮し、あるいは自ら槍を構え、己のすべてを賭けて戦場を駆けめぐってこそ日々に意味がある。
非道徳と頭では理解しながらも、血がたぎるのを押さえられない。
武に生涯を賭けると誓った者にしかこの感覚は理解できないだろう。
母や妹に分からせようとは思わない。
弟たちはそのうち誰に教えられずともおのずから知るだろう。あるいは父の血が教えるだろう。
兄として不憫に思いもするが、武の先達としては誇らしく思う。
関平はふと、この土地のことを思った。
江陵は気候もよく、交易が栄えて人民は豊かだ。現在において荊州の事実上の首都であり、また戦略上においては三国が接する要地であり、この地を治められる者は天下に父をおいてないだろう。
痛んでいた城壁も修繕され、長江に接するこの城は船上から眺めれば水面に浮かんで見える美しい都市だ。
そして彼は知るよしもないことだが、関羽が江陵城を治めたのはわずか数年のことであったのにも関わらず、その後現代に至ってもこの城は「関公の城」として世に知られ続ける。彼の父はそれほどの人物であり、その治世もまた優れたものだった。
今この地を、平和な荊州を治める任務ももちろん重大でやりがいのある仕事だが、それでも自分たちはとりつくろいようもなく、ただ武人なのだ。
こうして安穏に生活している間、起きながら眠っているようなものだ。
父が酒を過ごし放蕩するのも、理由はそのへんにあるのではなかろうか。
そこまで考えた時、赤兎独特の力強いひづめの音で我に返った。
自分が起きて待っているのを見れば、父は必ずや機嫌を損ねるだろう。
そう思うと、にわかに面白くなった。
「父に説教する気か」
案の定、彼を見るなり父はそう言い放った。
「説教などと、滅相もございませぬ。ただ、」
息子が含みのある笑みを浮かべるので、関羽は一層不愉快だった。
「ただ、一人でお飲みになる酒などうまくはなかろうと思いまして」
説教とまではいかなくとも、嫌味の一言ぐらいは聞かされるだろうと憮然としていた父は、意外な言葉に不審気に視線をめぐらした。
「おつきあいいたしますから、飲み直されてはいかがですか」
一杯目を酌しながら、あたりになど誰もいるはずはないのに関平は声をひそめ、父の耳元に言った。
「閉門まぎわ、成都から使いが参りました。伯父上から、特別の使いです」
関羽は答えなかった。ただ瞑目して先を促した。
「漢中は近く定まります」
まだ父はなにも言わない。しばし間を置いたのち、ただ、
「そうか」
とだけ言った。
それきり互いに黙りこんで、ただ杯だけを重ねた。
一つの戦の終結は新しい戦の始まりを意味する。
漢中の次は? それは口にするまでもない。
三勢力が分割統治するここ荊州が数年たりとも平和であったのが不思議なくらいだ。
酔いも手伝って、二人の胸中に高揚と快い緊張がしみていった。
荊州が戦場になれば、ちょっとやそっとのことでは済まされない。一方の名が地図上から消え失せるまで終着はしないだろう。
滅びるのは下手をすれば蜀なのかも知れない。
胸が冷えるような言いようのない不安もある。人として、もちろんある。それなのに戦場に戻れる喜びの方が大きい。
また昔のように、戦地を渡って危うい日々をつなぐ生活に戻るのだというのに。
貧しい食事を取り、暑さに当てられ寒さにさらされ、風雨の中で仮眠を取るような、そんな生活に戻るのだというのに。
血が高ぶってどうしようもないのだ。
そんな昔を思いつつ関平は父の顔を眺めた。自慢のひげもだいぶ白くなった父。無理もない。もう還暦も近いという歳だ。
父のそばに添うようになって、なんと長い年月が過ぎたことか。しかしあっという間のようでもあった。
「父上もお歳をお召しになりましたね」
「ふん。まだお前のような若造に遅れは取らぬ。久方振りに父の腕の冴えを見せてやれると思うとうれしいぞ」
決して父を侮って言ったのではなかったのだが。しかし関平は言い訳しなかった。父ならそう受け取るだろう。
「存分に腕を振るって下さいませよ。おとめいたしましてもむだともう分かっております。しかし私にも出番を回して下さらねばなりませぬよ」
戦場に戻ることを息子が嬉しく思っていることを確認して関羽は喜び、胸をそらせて酒をついでやった。
「ちょうだいいたします」
小さくはない杯にふちまでつがれた酒を息子が一息に干すのを、父は眺めた。
関羽は息子の性格が気掛かりなのだった。心配だと言ってもいい
武才は申し分なく、孝忠に満ちて礼節を知り、どこと言って瑕疵のない息子なのだが、気優し過ぎるのがどうしても、いつまでもひっかかった。
しかしそれこそは関羽がこの息子を愛する所以でもある。臆病とは違うとは知っている。しかし、命の瀬戸際に立たされた時、正しい選択をこの息子はできるのだろうか。自分がついているうちはいい。しかし。
「…。平、もし父が賊の手に落ちたならば、お前はどういたす」
「命に代えてもお救いいたします」
「敵に罠があるとしてもか」
そこで関平は意外にも笑顔を見せると言う。
「私は、私は伍員になることはできませぬ」
関羽は呆然とした。
あれはいつごろのことだったろうか。
父が愛読して読み聞かせ、なにかにつけて教訓に持ち出す春秋左氏。関平は空き時間を見て自分でも読んでいた時期があった。もちろん、内容は既に耳がすり切れるほど聞かされたものばかりで目新しい話はない。
ところがそんな中で、きれいによけたように、自分の知らない話があるのだった。
──いや、まさしく父上は避けたのだ。私にこの話を聞かせることを。
それは伍員という人物の物語だった。伍員はあざなで伍子胥と呼んだ方が通りがよかろうが、彼が故国・楚を出たくだりだった。
臥薪嘗胆の故事で知られる呉王・夫差にも仕えた伍員。彼の父は楚の王のために働いていたが、ゆえない罪にて捕らえられ、楚王はさらに伍員とその兄をも刑しようと父の身柄を餌に兄弟を呼び出した。兄は罠と知りつつ参じ出て父に殉じたが、伍員は逃げ延び楚王を滅ぼすことに生涯をかけたのだった。
この話を父が自分に聞かせたがらなかったわけが関平には分かるような気がした。
あれでいて優しいところがなくもない父は、この話を聞けば自分が二者択一のどちらを選ぶかと想像がついてしまい、それをさせたくなかったのだろう。
──父上。
父の慣れない思いやりに彼は一人心を暖かくした。
「父上にはたくましい息子がまだ二人もおありです。私は父上のお供をいたします」
関平はこともなげに言った。
息子が臆病と違うとはとうから知っている。ただ柄にもなく息子が心配だったのだが。
「ふん。まあそんなことは日が砕けようとも起こるはずはないがな」
息子の考えは自分とは違うものだが、自分と息子はこれでいいのだろうと、関羽は結論をつけた。
思えば、自分たちはうまくやってきた。
養子を取ったという話は世に掃いて捨てるほどあるが、悲惨な末路も少なくはない。
あるいは子が父を裏切り、あるいは父が子を誅し。呂布がいい例だ。
こうもうまくやってこられたのも、自分たちの考え方が似ても似つかないからだろう。
まあよかろうと彼は思った。そんな仮定の話など。
大体、こんなことを悩んでいられるのも平和な今のうちだけだ。戦に出れば他のなにごともどうでもよくなろう。
平気な顔をしていても、関羽も戦場に思いを馳せ、血を熱くしている。
神ともされる偉人であっても、父もまただだの武人だった。
己が考えにふけってしまい会話が途切れがちな中、黙々と酒を飲むにもそのうち飽きてくる。
「酒も切れたか。さて」
関羽は息子を引き寄せに掛かったが、関平は制した。
「いっ、いけません! もう夜も随分とふけましたゆえ、お休みになっていただかねば。私が母上に叱られるのですから」
しかし父は鼻で笑う。
「そうか? なんだかんだ言っても、お前がまるでその気でない時に父が強いたことがあったか? 体が熱いのをどう言い訳する? 妙に色めいた目で見おって、父か気づかぬとでも思うのか?」
「うう」
見抜かれている。出陣を思えば頭も体もかっかとする一方で押さえるすべが分からず、父の腕が欲しかった。
「どうせ今晩は眠れぬだろう。時を有意義に使うのを手伝ってやる。お前が嫌なら、しかたないがな」
「そのおっしゃりよう。もっと素直に求めていただけないのですか」
「父が素直だったら、お前はびっくりするだろうが」
ああ言えばこう言う。
「もう、分かりました」
二人は寝台に入り衣服をほどき始めたが、関平がまだ帯を解き切らないうちに父はその二の腕をつかみ、いささか強引に布団の上に押しつけた。
「あ。父上」
襟足をつかまれあごを反らさせ、そのあらわになった首筋に関羽は鼻面を埋めて愛撫する。
そうしながら強引に着物を引いて袖を抜かせた。足をからませ肌をさする。
強引はいつもだが、人を困らせようといういつもの意図的なそれとは違った。
──父上も、高ぶっておられるのだ。
それもそのはずだ。今度の戦はただごとではない。この中華全土を揺るがせる。
ただ自分の武の喜びのために戦に胸を高鳴らせるだけ自分と違い、父は蜀一国を背負うこともしなければならない。
関平はじっと父を見、それに気づいた関羽が手をとめると父の首っ玉に腕を巻きつけて引き寄せ、その口を吸った。
──平がついております、父上。
そう言いたかったが、馬鹿げて思えてやめた。
自分がどれほどの助力になるというのだろう。
ほんのささいでも父の役に立てればいい。閨の隙間を埋めるのでもいい。
「ふん」
息子の内心は読めた関羽だがなにも言ってはやらない。もう二十年近くも親子をやってきて、身にも心にも教えられるだけのことを教えてきたのだ。いまさら言葉にして言うことなどありはしないはずだ。
行き届いた教育のおかげで十分に上手に舌を吸ってくるのにしばし応えてやりながら、荒っぽく肌をなでた。
「あ…。あ…っ」
よい所に触れるたびに体が跳ねる。この息子のことはなんだって知っている。
「うう…」
切なそうにうめいたのち、関平は父の手を取ると、おもむろにその太い指をなめた。
「は…早く」
切羽詰まった目つきで見上げてくる。
「よかろう。よくぬらせよ」
根元までなめしゃぶり、ころあいと見て父が手を引くと名残惜しそうに舌を出して最後にひとなめしてから離した。
「う…」
すかさず遠慮なくそれは体内に入り込んできて、自由気ままに動き回る。
「うっ、うっ。ああ…」
きつく目を閉じて関平はその感覚を追った。内壁がすれる痛みはあっという間に消え失せて、体の奥から喜びが湧き上がってくる。体の芯がとけ、震えるような快楽だ。
「あっ。はあ!」
息が上がり、まだ夜風は寒い時期だというのに彼の白い肌には汗がうっすらとにじんできた。触れてきた指をしっとりと捕える。
快楽をこらえる頬は上気してよい風情だ。
「はあ、はあ」
唐突に関羽は指を引き抜くと、息子の体を裏返して腰を引いた。
「父上」
「枕を抱いてろ」
耳たぶを甘噛みしながらそう言う父の声に背筋がぞくぞくとする。
声が出せずただ彼がうなずいたのを見て、関羽は背中から抱きながらその中に押し入った。
「ああ…っ!」
慣れるのを待たず、激しく抜き差しする。
「うっ、くっ! あ…、ち…ちうえ」
おおいかぶさってくる父の熱さ、息づかい、そして匂い。五感とも父に支配されたようだ。
関平は陶酔し、羞恥もなにも放り出して行為にのめり込んだ。
「ん…」
「いいのか、平」
「い…いです、父上」
言われた通りに枕を抱いているその上から抱き締め、しばし体を揺する。
きしきしと寝台全体が揺れた。
「父…上…、父上」
息子がくり返し自分を呼ぶのがなかなかにいい。
「あ…、父上、ん…」
高まりのままに関羽は動きを大きくする。その激しさが関平は耐え難く、唇を噛んだ。
「うう」
「黙らずにもっと呼べ、父を」
「う…。ち…父上…」
「もっとだ!」
「あっ、ああ…っ!」
関羽が強く腰を打ちつけたのを潮に、関平は行き着いてしまい、それ以上父を呼ぶことがかなわなくなった。
「ふう」
関平が吐息して転がったのを見、関羽はにやにやとする。
「満足したろうが。眠れもせず布団にはまっているよりよかったろうが」
「下世話ですね、父上。しかし、鎮めて眠るつもりがなんだかかえって目が覚めてしまいました」
「うむ。いっそもう起き出してしまうか」
日がずいぶん長くなってたこのごろ、空はすでに白み始めている。
「いやいや。私も片棒を担いでしまいましたからお休み下さいとはもうお願いしませんが、せめて寝たふりだけでもしておいて下され。父上が放蕩ばかりなさるので、母上は大層ご立腹です」
「うむ、そうだな」
戦は恐ろしくないというのに、妻や母は怖い。関夫人は口うるさい方ではないのだが。
二人は大人しく布団をかぶって横になった。
眠れまいと思っていたが、やはり疲れたのか関平はじきにうとうととし始めた。
明日から、いや、もう今日だが、戦の準備を始めなければならない。
総力戦になる。人も食料も武器も、十二分な前準備が必要だ。
しかし戦は神速をたっとぶと言う。特に、数に劣る自分たちに取っては機先を制することができるかどうかが勝敗の大きな分かれ目となるだろう。じっくり時間をかけて支度などしている暇もまた、ありはしない。
突貫工事の戦準備に、もう明日からは夜のんびり眠っている暇もない。
戦に出ればそれはなおさらだ。
それでも自分たちは喜び勇んで戦場に出るのだ。
ただ武のために。
|
|