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 江陵は夏は蒸し暑く冬はちょっと冷え込めば雪が降るという難儀な気候で、過ごしやすい黄河下流域に生まれ育った関平にとってはなにかと不満だったが、いいこともある。
 それは米が取れることだ。
 実家にあったころは主食は小麦、せいぜい豆か粟で、米など口にしたことはなかった。その地ではそれが普通で不服に感じることも別段なかったが、こちらにきて初めて食べた米のうまいこと。
 新米の季節になると、これだけで江陵に永住してもいいと思う関平はやはりかなり単純にできているのかも知れない。
 しかし食べ物がおいしいのは、よいことだけとは限らない。

「平お前、太ったのではないか」
 関平はぎくりとした。
「やはり、お分かりになりますか」
 息子の体格を主に触覚で覚えている父であるから、露見するのは時間の問題であろうとは思っていたが。
「分からぬはずはなかろう。特にこのあたりなど」
 関羽はわき腹をなで回す。
「くっ、くすぐったい! おやめ下され」
 どうにも色っぽい雰囲気ではなくなってしまったので関平は体を起こして衣に袖を通した。
「このところ飯がうまくて。飯がうまいとおかずも進んでしまいますし」
「食欲があるのは結構だろうよ」
「しかし実際のところ困っているのですよ。興と索が今一番食う年頃でしょう? 私もつられてしまって」
 そう言いながら鏡を手に取ってのぞき込み、げんなりとした。
 関平に自己愛の性癖はないが、世の中の多くの人がそうであるように、自分の顔が嫌いではなかった。
 額・鼻・あごに加えて両頬が秀でているのは五高と言って尊ばれ父がまさにそれであるが、関平も頬骨が張っていて、人にほめられる骨相をしていた。
──それが今はどうだ。頬骨がどこにあるのか、見当もつかぬ。
 本人がそう思うほどには人相は変わっていなかったが、しかし確かにいささか福々しくなってしまったろうか。
「二の腕にも肉がついたようです」
「どれ」
 自分の上腕を眺めるのに袖をまくっている手をどけさせると、そこに吸いついた。
「うむ。感触は落ちておらぬ」
「ちょっと、父上」
 まじめに話を聞いていくれるかと思った自分が馬鹿馬鹿しくなる。
「それさえ確認できれば父には十分だ。歳になると今更食べ物がうまいとも感じぬぞ。お前はまだ若いのだし、好きなだけ食えばよいではないか。若い時分はすぐ太りもするし、元にも簡単に戻ろう」
「それがなかなか食欲が落ちないから心配なのです」
「お前はよく食うからな」
「そっ、それは」
 実家の兄が食が細かったので、関平が好き嫌いなくたくさん食べると大人はほめた。そして彼の体格は向上し、更によく食べるようになった。
 その結果、父に侍しても見劣らないとまでは行かずとも釣合いが取れる程度にまで育ちおおせたのだが、もう背が伸びる歳でもないのだから節制が必要だ。
「そう分かっておりながら、育ち盛りの弟と同じほど食うではないか」
「それは、私もその、立ち働く職業でございますから、どうにも腹が減りまして」
「篭城戦にでもなったらお前のようなのから先に飢えるのだ。しかしなにも食わんのだけが方法ではあるまい。食った分体を動かせばそれでよい」
「しかしこのところ政務に追われて剣戟の時間も削られがちですし、どうすればよいのです」
「知れたこと」
 関羽はおもむろに息子を引き倒した。
「父が手を貸してやる。秋の夜は長いぞ」
「それはもうたくさんです。先月こりました」
「つれないことを申すな。うむ、確かにこのあたりも肉がついたぞ」
「あっ、父上」
 関羽は内股をさすり、大きな手でそこの肉を握ろうとする。
「まっ、まだつかめるほどございませぬ」
「新野のころ兄上が脾肉を嘆いておられたが、なるほどこれでは武人として問題があろう。抱きごたえがあるのは父には悪くはないがな。心優しい父はお前のために協力を惜しまぬ」
「父上をわずらわせなどしませぬ。自分でなんとかいたします!」
 先月父に相談を持ちかけて憂き目を見たのをまだ忘れていなかった関平は力強く宣言したが、この父に逆らっておいてただで済むはずはもちろんない。
 大体にして、さほど意志が強い方でもないのだ。

 すぐること数日。父を遠ざけて地道に節制する関平はその晩は家で家族と過ごしていた。
 父のいない家は実に平穏な団欒だ。
 みなでそろってお茶を飲む。今夜のお茶受けはあんずと栗だ。
「栗はゆでたのと焼いたのと用意させました。お前、好きだったでしょう」
 秋らしいと喜んで、関平は躊躇なく栗に手を伸ばした。酒も飲むが、関平は甘いものも好きだ。
 坊ちゃん育ちの弟たちが、面倒だからとあまり栗を好まないので、関平は人の分までむいてやる。
 この手の掛かるところがまたよいのに、分からないかと言う兄に、その不憫な性分をつくづく憐れんで関興は弟と顔を見合わせたが、それでも食べることは食べるのだった。
「ほくほくとして、私は焼いたのが一番好きです」
「栗はむき始めるととまりませぬ」
などと話しているうちに本当にとまらなくなり、一籠をほとんど一人で平らげてしまい、胸焼けがするありさまだった。
「まあよく食べたこと。この栗は献上品をわざわざ殿が届けてさせて下さったのですよ。きれいに片づいて殿もお喜びでしょう」
 食べ終わった後から我に返り、関平は理不尽にも腹を立てた。
「父上は普段そういったものは受け取らないではないですか」
「きっとお前のために節を曲げて下すったのね。殿はあれで、お優しいところもおありだから」
 母はまこと善人だ。
──そうだ。私が栗を好物と知っていながら。おのれ、父上!
 しかし今になっていきどおっても、策略は乗せられた方の負けだ。
──人の節制を邪魔するなどと、なんたる浅ましさ。
 腹を立てると人は食欲を増すのであり、それも父の目論見通りであった。

 その後も父の妨害がはなはだしく減量は進んでいなかった。
 なにしろ、客人があるだの、いい肴があるだのと言っては毎晩宴会をするのだ。
 自分が客人になってちやほやされるのはともかく、人を持ち上げてもてなすなど関羽はもちろん好まない。だというのに、県令だの太守だの、関羽が接待するまでもないような客をわざわざ日替わりで招いての宴会だ。
 嫌がらせのためには情熱を惜しまない父。
 そして遅まきながら関平もようやく気づいた。
 父はつまり、へそを曲げているのだ。自分が素直に従わなかったことに。

「私が悪うございました」
 関平は父に平伏した。
「ようやく父の手を借りる気になったか」
「私が愚かでした」
「分かればよいのだ。お前がうまいものを食ってのんきに肥えていられるのもすべてこの父があってこそだというのに、その父に逆らおうなどとは親のありがたみを解さぬ奴よ。そうではないか? うん?」
──この説教は長くなる。
 続けて口を開こうとする父に、長年の経験でそう察知した関平は話を打ち切るべく改めて、きわめてへりくだってひれ伏した。
「すべて父上のお言葉が正しゅうございます。父上のおっしゃるとおりいたします。なんでもいたします」
「先月の薬ならば、まだ残っておるぞ。それ」
 そういって薬壷を投げ寄越されても困る。
 なんでもすると言いはしたもののそれは言葉の綾であり、これだけは鼻をつままれても二度と飲みたくはない。
 報復のつもりで一服盛ったものの窮したのは結局自分であり、ただでさえ普通ではない父が薬によって輪をかけて常軌を逸したその相手をして、頑丈さには定評のある関平もさすがに疲れ果て、復調するまで数日かかった。
 どのような場合でも例外なく、父は関平を窮地に追い込む。
「一人で飲むのがさみしいのなら、父もつき合ってやる」
「じょ、冗談はおやめ下され」
 二人で一緒にあの効き目にさらされなどしたら一体どんな地獄を見ることか。
「では、そうだ。半分ずつ飲むというのはどうだ。効き目も手ごろであろうよ」
「…」
 先月の心の傷がまだいえていない関平は黙して返事を返さない。
「気が向かないのなら、向くようにさせてやる。父がかみ割って半分お前に分けてやろう。どうだ」
 関羽は一粒口に含んであごをもぐもぐとさせた。
 そして関平の体を抱いて唇同士を寄せる。
 関平もこれで嫌いでないので、小さく苦笑して降参の意を示すと、従順にまぶたを伏せた。
 合わせた唇の隙間から舌が入り込んでくるのを迎え入れる。が、しかし。
「ああっ!」
 その舌に送られてきた一片をするりと飲み込んでしまってから、喉元を押さえて関平は頓狂な声を上げた。
「いかんせんお前は人を疑うことを覚える必要があるな」
「わ、割ってなどないではないですか! 丸ごと飲ませましたね!」
 せっかくの父の金言を聞く耳もなく関平が自失する間に、関羽は自分でも一粒飲んでしまう。
「ああ…」
「七日後が楽しみなことよ。効いてきてしまえばしばらくできんのだから今日のうちに励んでおくか? いやいや、せいぜい養生しておかねばならんな」
 ためにもう眠るというので、関平は父の寝室から追い出された。
「養生など、そんな必要は毛頭ございませぬ! 十分です! 父上! 父上!」
 戸をたたくのだが中からかんぬきをかけたらしく押しても引いても開かない。
 途方にくれて天を仰いで見た月が、こんなに冷酷な色に見えたことはなかった。
 人はなぜ道に迷うと天を見上げるのだろう。なんの助けにもならないというのに。

「ふう」
 ため息ばかりつくようになった関平を家族は心配するが、彼はなにも語ろうとしない。今ちょっと気がかりがあり、後数日で片づくからと、そうとだけ繰り返す。原因が父にあることは、対照的にはつらつとしているその人を見れば分かるのだが。
「兄上、お食事もう召し上がりませんの?」
「いやもう、胸がいっぱいで」
 口数も少なく箸を置いてしまう。
 先月のことを思えば関平は暗澹たる思いで胸がつぶれそうになり食事もろくにのどを通らなくなって、果たせるかな七日後を待つことなくすっかりやつれ細ってしまった。さすが父のすることには無駄がない。
 それでも、もう用は済んだと言っても七日後は無情にもやってくるのであり、若将軍は最近おやつれだと領民が噂するほどに、てきめんに当初の目的を果たした。
 こうして金輪際父には逆らうまいという幾度目か知れない誓いを関平は立てるのだが、それも破られるのは遠い日のことではなく、そもそも彼ではなく父の方に大方の問題があるのだからいくら堅く誓いを立ててもせんないことだ。
 しかし父がいまさら改心するはずもなく、偉大な父のご利益により関平は太って醜く成り果ててしまう気づかいとは無縁でいられるのだ。


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