|
ここは蜀領荊州。世に名高い関将軍の守るこの荊州本城の一室に、壁の大鏡に一心に問いかける影があった。
「鏡よ鏡、この荊州で一番美しいのはだ~あれ?」
「それはお妃様」
関羽の妻・貂蝉の姿であった。
鏡の答えを聞いてほくそえんだ貂蝉は、そこでやめておけばよいものを余計な質問をしてしまった。
「では、この荊州で関将軍に一番愛されているのはだ~あれ?」
「それは関平様」
「なんですって!? もういっぺん言ってごらんなさい」
「関将軍のご養子の関平様です」
誤謬ないよう、鏡は正確に答えた。
「ゆ、許せぬ!」
しかしそう言う貂蝉も、この答えを危惧していたからこそあえて鏡に聞いたのだった。
ただでさえ自分とあまり歳の変わらないまま子・関平を疎ましく思っていたその上に、そろそろ小じわが気になる自分に対して関平が非常識なまでの童顔で、戦場でいまだに若造呼ばわりされるのを彼女は逆恨みしていた。
貂蝉は一計を案じ、廖化を呼びつけた。
翌日。
関平と廖化はくつわを並べて荊州城下を見回っていた。
関羽の徳政の元、人民は安らいでおり、若君と見て城民は伏し拝む。心根優しい彼には人心も篤かった。
「たまには、いつも足を向けぬあたりも見回ってみましょう」
廖化の言葉に関平は何の疑いも持たず従った。
しかし、城門を抜けて早や幾刻。道はどんどんと山に迫り、見渡す限り民家もなくなってようやく関平もいぶかり始めた。
そろそろ戻らぬかと廖化を返り見て言おうとしたその時、突然廖化が関平に射掛けたのだった。
「廖化、なにをいたす!?」
幸いにして矢は袍を掠めただけだったが、関平の驚きはひとかたではない。
関平を亡き者にせよと貂蝉に命じられた廖化だったが、これもまじめな廖化こと、主の細君の命令には逆らえないが、さりとて関平を手に掛けることなどできようはずもない。
「若、お逃げ下され。御身はもはやこの荊州に身の置き所はござらぬ。どうか長江を渡り、呉に落ち延びられますよう」
自分に矢を向けながらも必死に懇願する様子にただごとではないと感じた関平は、とにかくその場を駆け去った。
廖化はその場に残された関平の袍衣のはぎれを拾い、貂蝉に首尾の証拠として渡した。
一方関平は行くあてもなく、深夜になってもまだ山道でのろのろ馬を進ませていた。
「父上はもう私が邪魔になったろうか」
最愛の父のそばを追われ、生きる希望もなにもなくなった関平だが、だとしても呉に下ることなどできようはずもない。
「どうしたらよかろう。うむ、そうだ、あそこならば」
思いついて関平は、親しい劉封の守る上庸に馬首をめぐらせた。
湧き上がる自信にお肌の張りも全盛期を取り戻したかのような貂蝉は改めて鏡に向かった。
「鏡よ鏡。今日こそ答えてもらおう。この荊州で関将軍に一番愛されているのはだ~あれ?」
「それはお妃様」
貂蝉は高笑いした。
「荊州で一番はお妃様。しかし、この世で一番愛されているのは関平様です」
正直者の鏡は問われぬことまで答え、あまつさえ、上庸城で手厚くもてなされ楽しく暮らす関平を映し出して貂蝉に見せた。
「おのれ、関平! 生きているではないの」
こりない貂蝉は再び刺客を放った。もはや誰も信用ならない。今回は彼女自身が手を下すことにした。これならば間違いない。老婆に化け、毒をぬった桃を籠に詰めた。(中国なので、桃にしてみました。)そして駿馬にまたがりさっそうと上庸にやってきた。
城主が留守とかで城門は閉ざされていたが、余計な輩が不在なのは好都合。桃をお贈りしたいのだと門外でごねるまくると、対応に窮して番兵は留守居の関平を呼んできた。
「ご覧下され。見事な桃でございます」
「しかし、劉封殿も孟達も城を空けておる。客分の私が勝手に城門を開くわけにはいかぬのだ」
城門上から偉そうに話されて、貂蝉はかなりいらっときたが、ここは我慢のしどころ。ぐっとこらえてその老いた顔に笑顔を浮かべる。
「桃はお嫌いか」
「いや、大好きだが」
老婆が取り出して見せるそれは確かにおいしそうな桃だった。大ぶりで、それでいて柔らかそうな、籠いっぱいの桃。
思わず生唾を飲む。
「桃を受け取るぐらいよろしゅうございましょう。ねえ」
関平は誘惑に負け、ほんの少しだけ城門を空けて桃を受け取るよう番兵に命じてしまった。
「いやしかしこれは、よい桃だ」
間近で眺めるとなお一層魅力的だった。邸宅に戻り、卓に据える。
「劉封殿が戻られるまで、手をつけず待っていよう」
と、言ってはみたものの、その桃籠が気になって気になって仕方がない。
「す、少しだけ。一口だけなら」
ついに、一番おいしそうで一番大きな桃を手に取って食いついた。その途端、
「うっ、くっ、苦しい!」
彼の顔はみるみる真っ青になり、喉元を押さえて苦しんだかと思うと、ばたりと倒れそれっきり息絶えてしまった。
「ううっ、関平殿」
「どうしてこのようなことに、関平殿。私達がほんのちょっぴり留守にした間に」
戻った劉封達はびっくり仰天し、そののち嘆き悲しみ、泣く泣く彼を棺に入れて葬式の準備をした。
棺を担いだ葬列が城外の墓地に到達するころ、そこに現れたのは白馬にまたがった王子様ならぬ赤兎馬にまたがった関羽様だった。
突然行方不明になった息子を探しにやってきたのだが、そこには見るも無残な変わり果てた姿。
「平! なんとしたことだ」
思わず棺をのぞき込めば、その雪のように白い肌は変わらず美しく、まるでまだ生きているよう。
貂蝉が香り高い薔薇とすれば関平は名もない白い花。しかしその咲きたてのみずみずしさは薔薇の香気にも劣らない。
関羽はたまらず関平に口づけた。
「う、うぐぐ」
死人にするには激しすぎる接吻に、関平は咽に詰まっていた桃を吐き出し、息を吹き返した。
関羽と共に無事戻ってきた関平を見て、貂蝉は怒りのあまり鏡を叩き割り、その破片が心臓に刺さって死んでしまった。
そして幸せを邪魔する者もなくなった関平は、荊州城で末永く父と幸せに暮らしましたとさ。
|
|