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それはもう、どれぐらい昔のことだろうか。
出会ったばかりの若者三人が意気投合し、その日のうちに義兄弟となって、我らは同年同月同日に死ぬのだと桃の花が咲き誇る下で誓いあった。
「いや、兄者。初めて会ったって気が全然しねえんだ。まるでずっと、初めっから俺達は義兄弟になるって決まってたみたいだぜ」
「はは。翼徳。それは私も同じ気持ちだ。血よりずっと濃いもので私達は結ばれているのだろうな」
もう一人、赤ら顔で長身の青年はなにも言いはしなかったが、長く伸ばしたひげを満足そうに何度もなでた。
「なんかこう、他人じゃねえってそう思うぜ。昔会ったことがあるのかも知れねえ。いや、ひょっとして実際、遠い親戚なのかも知れねえな」
翼徳と呼ばれた大柄な青年は兄貴分の肩を気安くたたく。
「おお、それだ、翼徳」
「なんですかな、兄者」
口の重い三人目の男がようやく声を聞かせた。
「私達の絆をもっと深める方法はないものかと、私はさっきから考えていた。一族になればいい。こうだ。いずれ私に子ができたら、雲長、お前の子と一緒にさせよう」
「兄者、そりゃねえ。俺はどうなるんだ!?」
「まあ聞け、翼徳。ものには順序がある。私の最初の子は雲長の子と、そして次の子は、翼徳、お前の子とめあわせるのだ」
「おっ、そりゃいいや兄者! よし、もう一杯誓いの杯だ」
「よし」
三人はもう幾たび目か、杯をなみなみ酒で満たし、きっとこの誓いを守ると、そう言いあいながら飲み干した。
それからあっという間に月日は流れ、若々しかった三人も着実に年齢を重ねた。
そして今、立派に成長した彼らの子らが呼び出され、二人二組になって座らされているのだった。
「そういうわけだ、お前達」
長兄の劉備は、円熟味を増してますます抗いがたい魅惑の笑みで二人の息子に笑いかけた。
「兄者のところに嫁にもらってもらうなんざ、俺も鼻が高いぜ、星彩」
末弟・張飛はますますがっしりとした体で仁王立ちになり、腕を組んでからからと大笑いした。
問題は、残るあとひと組だ。
一層長く立派になったひげを憮然としてなでつつ関羽は、絞り出すように言う。
「…。関平、不本意ながら、そういうことでな」
「父上!」
息子はなかば泣き出しそうな面持ちで父にすがりつこうとするが、隣の劉封が背後からこっそり、しかししっかりと、皮帯をつかんでとめたので、果たせなかった。
関羽は渋面をますます深くし、なろうことなら息子を救済してやりたいと思うことは思っているようだが、しかし彼は命より義を重んじる男である。自分の命よりも約束が大事な男なのだ。息子の不本意な結婚話程度では、かわいそうだがはかりにかけるまでもない。
「父上、助けて!」
「父を許せ、関平」
「星彩からもなんとか言ってくれ!」
しかし振り返り見た星彩は、唇の両端をわずかに、ほんのわずかではあるが持ち上げており、つきあいの長い関平にはそれが彼女の満面の笑みだと分かるのだった。
そもそも、星彩が最初から劉禅狙いであることは以前から周知に明白であった。関平にとっては認めたくない事実だったが。
そして彼女は関平になど用はないとばかり、少し庭でも歩きましょうと劉禅を誘って出て行ってしまい、父はと言えば、張飛とともに劉備に肩を抱かれ、いやこれで私達も真の兄弟だなとそう言われると、こちらも息子は眼中になくなって、やれ酒宴だと言ってとっとといなくなってしまった。
後に残されたのは、絶望のどん底にある関平と、状況を楽しんでいるらしい劉封の二人だけになった。
「まあ落ち着いて、突っ立ってないで座るといい」
劉封は長椅子にゆったり座り、古いなじみの許嫁を自室に迎えてすっかりくつろいでいるという様子だ。
「そんなに落ち込むことはないんじゃないか。いささか心外だな。俺との縁談じゃ気に入らないのか」
そんなことはありえないとでも言うように、劉封は余裕の態だ。
「そんなことを言ってるんじゃない。気に入るとか、気に入らないとか。拙者は、拙者は男だ! 男同士で結婚してどうする!」
「ああ、そのことなら君が心配する必要はない。確かに子のことを考えれば第二夫人は必要になるが、他に妻を持っても、俺は君のことはずっと大切にするつもりだ」
「違う! そういうことじゃない!」
「そうだな。まあ君の困惑にも一理ある。俺が君を、劉禅が星彩をめとるとなると、俺と劉禅の跡目争いはこれまで以上に難しい。どちらかに、大きな後ろ盾のある伴侶ができればそれで決定打の差がつくかと思っていたんだが、関羽殿と張飛殿ではほとんど同格と言っていい」
「はあ?」
「父上がどちらを選ぶかは興味深いことだ。なにしろ、この俺と劉禅を比べるのだ。能力を取るのか、血筋を取るのか、父上のお心がはっきり見えてしまうだろう。それは為政者としての今後の姿勢を表明することにも通じる。そうだろう?」
「いやその」
関平が少ない語彙から短く反論する合間に劉封はその十倍もしゃべるので、論点は関平が目指すところからどんどんそれていく。
「俺のどこに劉禅に劣るところがあろうか、全城民に一人一人聞いてみたってもいい。そうだろう。君だってそう思うはずだ。君だって劉禅より俺を選ぶだろう。俺でよかったろう」
「そ、それは」
今はそういう話でもないのだが。
それに、これは大変繊細な問題で、心で思うことと口で話すことが直結している関平でも、それを口軽々しくに出すのははばかられた。
「劉封!」
「君はいつもそう叫んでばかりじゃ喉が渇くだろう。茶でも飲むといい。交易商人から買わせた最高級の茶葉だから、君の口にはあわないかな」
家人を呼んで茶を入れ替えさせ、人前とあってようやく関平も少し鎮まって、しかし劉封の隣には掛けずに床にあぐらを書いて、茶を一口ぐびりと飲んだ。
「熱い!」
「そりゃそうだろう。相変わらず落ち着きがないな」
声を立てて笑う。さあさあ飲めと進めたのは自分ではないか。
いつも彼は関平の前ではこんな具合だ。
「しかし、君の気分はさて置いて広い目で見たらどうだ。これは全体的な利益から言っていい話だと思うよ。なにしろ劉禅はあの通りだから、この国の将来のためには星彩ぐらいしっかりした妃があった方がいいだろう」
「えっ! でもそれでは」
さっきの言葉と矛盾するではないか。劉封彼自身が国を継ぐのにふさわしいという。
当惑する関平を見、しかし劉封は、しまったと思う内心を少しも現さず、にっこり笑った。
「いや嘘だよ、嘘」
「う、嘘だって?」
──どこからどこまでが?
しかし劉封はすでに会話を終え視線を流して優雅に庭を眺めており、関平の疑問に応えてくれる気はないようだ。
関平は生来、人の言葉をありのまま受け取るたちだ。
劉封がなにか言えばそのままにそうなのかと思うし、嘘だと言われれば、そうか嘘なのかと、そう思う。
その言葉の裏に込められた意味など察してくむことなどできない。
だから彼が言葉を閉ざしてしまえばそれまでで、どうすることもできない。
──どうも、関平と話すと調子が狂うな。
劉封が眺めたその庭には星彩が劉禅と散歩をしていた。
なかなかに、似あいの様子ではないか。
そして、星彩はそんな時でも、すなわち逢引き中でも、あの例の格好でいる。そして煌天を離さない。盾を下げずに劉禅の左一歩先を歩き、見事な護衛振りだ。
──劉禅の後宮には番兵は不要だな。
劉封は苦笑した。
そう言えば、父のところに孫尚香殿がきた時もあんな具合で、私が守るのだと言っていた。ただし彼女は明るくはしゃいでいて、性格はだいぶ違うようだが。
しかし二人とも、おてんばという言葉に失礼なくらいおてんばな女だ。
──親子で同じ趣味か。
やはり血は争えないものだ。いや、争いたくもない。
一方星彩は劉封の視線に気づいたが、特に彼に対して毒づくこともなく──関平もそこにからんできたらまた違ったろうが──自然に劉禅との会話に戻ったようだ。
星彩と劉封はいつも関平を間にはさんで対立し、呉越同舟、犬猿の仲のように周囲に思われているが、これが実はそうでもない。
実際にはお互いにほとんど興味がない。好きの反対は嫌いではなく、無関心なのだ。
ただ、二人がもめると関平が涙目になって必死で仲裁に入るので、それが面白くて長年の間暗黙のうちに、仲の悪さを装っているだけだ。ある意味、不仲どころか以心伝心の同好の士と言えるだろう。
関平は幼少のころから、星彩には塵芥のごとく扱われ、劉封には陰湿にちくちくといびられ、よくぞこうも素直に成長したものだと思う。
──これもまた、持ち前の性質ということかな。
いずれも自分とは違うものだ。
ふっと、笑いのような、あきらめのような吐息を劉封はした。
「劉封!」
その様子を見ると、関平はまた憤って立ち上がる。
「だから、嘘だと言っているじゃないか。心配はいらない」
「そうじゃない、劉封! 拙者には、拙者には言ってくれてもいいだろう!?」
「なにを」
「拙者には、幼馴染みで同じ立場の拙者にぐらいは、本当のことを言ってくれ!」
劉封は目を丸くする。
まったく素直な、なんとも実直なことだ。
劉封は自分が嘘つきだと分かっている。思うことをそのまま口に出すなど自分にはあり得ないことだ。そんなことをして、裏切りと保身と偽りばかりのこの世の中で、肉親も持たない自分が、生き残っていけないではないか。
しかし、関平も故郷を離れて養子などになり、その身の危うさは自分と同じはずであるのに、それなのに彼と話していると時折妙な気分になる。
心にあることを全部そのまま言ってしまってしまっても、関平に対してだけはそうしてしまっても、それで構わないのではないかと、そんな気分になるのだ。
自分らしくない、気を抜いたうかつな思考だ。
だがしかし、それはなぜだか嫌な気分ではない。
「…。そうかな、俺と君は同じ立場かな」
「劉封?」
「この間見かけたが、関興殿は関羽殿にそっくりじゃないか、勇猛そうで。頭もいいらしい。君にとって不足のない競争相手になるだろう。君たちは堂々と実力で争えばいいんだ。それになにより、関羽殿は君主でない。どちらがを後継ぎにするかは、関羽殿の心ひとつで決めて差し支えない問題だ。君と関興殿と、どちらがかわいいか、結局はただ単純にそれで決めたらいい。俺と劉禅のこととは話が違う。そうだろう」
「それは」
関平が取るべき態度を図りかねて茫然としているのを見て、素直に言うのはいいとしても彼には刺激が強過ぎたと反省し、別の話題、まったく別だが刺激の強さでは同程度である話題を振ってやった。
「そうか、君は星彩が好きだから、それでこの話が嫌なんだな」
「す、好きって、そんな! ただ、ずっと一緒にいた幼馴染みだから、だから拙者は!」
すっかり赤くなってそのように反論しても虚しいことだ。
「まあ、下手な言い訳はよして。しかしここ数年のことだろうそれは。星彩が、最近と言うか、ようやくと言うか、女らしい見かけになってからだろう」
「そんなことは」
「昔は、関平、君は俺が好きだったじゃないか。まだ少年で俺が星彩よりよほどかわいかったころ」
「そっ、それは!」
星彩は幼いころから今と同じような短髪で、そしてその時分から、裾がひるがえるのも顔が土ぼこりで汚れるのも構わずに、身の丈の倍もある叉を振りまわしていたのだった。
それは、張飛殿のところの、あれがそのお子様だご子息なのだと聞かされれば、なるほどそうらしいと納得いくという、そんな格好だった。
「君は俺に求婚しただろう」
「そのことは! 言わない約束だ!」
それは関平の暗黒の歴史だ。
星彩とは対照的に劉封は当時、赤い唇に白い肌、なにより、上品な立ち居振る舞いが、関平には高貴な姫君だとばかりと思えたのだった。
幼少のみぎり、関平は養父に連れられてその愛らしい姫に引きあわされ、一目ですっかり好きになってしまい、摘んで集めた野の花束を持って「大きくなったらせっしゃのおよめさんになって下さい」と、そう申し込んだのだった。
「いや、あれはかわいかった」
「うう」
関平が泣きださんばかりに困り果てているのを見て、劉封はようよう仏心を起こす。
まさか関平を本当に嫁にもらいたいでもあるまいし──まあそれも面白そうだが──このあたりで許してやることにしよう。
「しかし、そこまで君が嫌だと言うのなら、取り消してくれるよう、俺から父上に取りなしてもいい」
棒立ちに立ち尽くしている関平を斜め上にあだめいた目で見て、そう言う。
彼らの君主であり、劉封にとっては父でもある劉備はその場の気分の盛り上がりで行動するたちだ。その傾向がかなり強くみられる。
いつも円福らしくにこにことして、いかにも善君で、凡人はただ恐れ入る他ないような徳の高い発言をすることもあれば、ところがその同じ笑顔で、聞く者が及び腰になるような毒舌も同じように吐くのだ。
それがどちらに働くかは劉備の心の置きどころ一つで決まる。
今回のことだって、これまで聞かされたこともない、忘れていたに違いない何十年も昔の約束を急に持ち出し、これを堅く守るべしと言い出すなど、劉備が今現在そういう気分なのだという他ない。
なるほど、劉封がこの巧みな弁舌をろうしたならば、劉備を翻意することはさほど難しくないように思われると、関平はそう思った。
「関羽殿はあの時の顔色を見れば分かる通り、君を俺にくれるのは元々無念なようだし、劉禅はこんな茶番などなくとも、放っておいても星彩をめとるだろう。この約束がご破算になっても誰も損しない」
関平はほっとして胸をなでおろした。しかし、
「俺以外は」
劉封はすかさずそうつけ加えた。
「他ならぬ君のためだから骨を折ってもいいが、なにか見返りがないと嫌だな」
そう言って、人差し指を一本立てて見せた。
「…を一つ」
「えっ、なにを! なにを一つだって? 拙者に差し出せるものなら、なんでも!」
「いやなに、減るものじゃない」
鐙だろうが玉だろうが、なんであろうと譲り渡そうと意気込んだ関平だが、続いた言葉にがっくりと肩を落とした。
「口づけを一つでいい」
背に腹は代えられず不承不承うなずきはしたものの、いかにも慣れない様子で関平がもじもじとするので、しかたなく、やりやすいようにと劉封が目を閉じてやって待っていると、長椅子の空いている側に気配がする。こっそり薄目を開ければ、どうやら頬にして、それで済ますつもりのようだ。
「関平」
また人差し指を立て、自分の口をちょいちょいと差した。
「口づけは口にするから口づけと言うのだ」
「それはその」
関平がいよいよたじろぐので、劉封は深く腰かけていた長椅子から体を起こし、
「じれったいな。できれば君からもらいたかったんだが、しかたない、こちらからいただくことにする」
ぐいぐいと押し倒した。
「ちょ、ちょっと!」
「いいだろう。君は昔俺が好きで、今だって嫌いじゃないだろう。なんでいつもいびられても俺とつるむんだ」
「そっ、それは」
確かにその通りなのだ。
幼いころから、劉封と遊んではいつもおとしいれられだまされて泣かされていたくせに、次の日には一緒に遊ぼうと言ってまた彼を誘ったものだ。
「今も俺が好きなはずだ。そうだろ」
──ああ、またこれだ。
絶望的な気分で関平は思った。
いつも劉封はこうして悪びれない様子で笑い、そうされると途端に彼のしでかした悪行はすべてご破算になってしまうのだ。
関平が答えに窮する様子に、劉封はそこで笑いを落として真面目な顔つきになり、そうすると彼の端正な顔立ちは際立ったが、こういう時こそより一層ひどい目に会うと知っている関平は身構えた。
ところが。
「俺もずっと、君が好きだ」
「えっ?」
驚いて飛び起きようとしたところに劉封が重なってきたので、その後どうなったかとは言うまでもない。
そして逆に一つだけ蛇足するならば、関平は初恋の相手をやすやすと忘れられるような器用な性分ではなかったということだ。
それが残念にも男だったとしても。
「ところで関平」
いささか落ち込んで無口になっている関平は返事をしなかったが劉封は頓着せず話しかける。
「昔君が俺に求婚して、俺はそれを了承して、その約束はまだいきているように思うんだが。俺としては、今回の話を逆にして、俺が君のところに嫁ぐんでも一向に差し支えない」
「劉封!」
「はは。だから、嘘だよ、嘘」
「ど、どこが!?」
「全部嘘だ」
全部が嘘とは? 嘘だと言ったことも嘘なのか。
──拙者を好きだというのも?
劉封はまたあの調子で、おかしそうに笑っている。
──もう、なにがなんだか。
関平は目が回りそうで今にも倒れそうであり、劉封が彼に言うことが意外と全部本音であることは分からないのだった。
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